お•も•て•な•し
白山ののいち医師会報 No.7 巻頭言原稿 2014年5月1日
長い間格別な場所として通っていた旅館の味が変わった。運ばれた料理に花がないのだ。味わっても優しさを感じない。これはいつもの料理ではないと直感した。女将の話では、板長が伊豆の旅館に引き抜かれたのだそうだ。企業ばかりではなく旅館の競争も熾烈なのだ。関西から来た新しい板長は、やはり少しばかり経験不足だったのだろう。それからはその旅館を訪れても「お・も・て・な・し」の半分が味わえるだけになった。仲居や女将の対応に不足はない。昼でも深夜でも、何度でも温泉につかる楽しみもそのままである。しかし、次第に足が遠のいた。美味しい料理や器を堪能する心躍る時間が宙に浮いてしまった旅館の寂しさは格別である。

小児科医院を開業して25年が経過した。風邪引きで通っていた子ども達も既に二十歳を過ぎている。時にはその子ども達が自分の子どもを連れてやって来てくれる。望外の喜びである。しかし、顔を見なくなった子ども達の中には、親が不快な思いをして来なくなった場合もあるはずである。閉院時間すれすれに受診し、院長や職員からすこし嫌みを言われたり、院長が発した何気ない言葉に傷つけられたりしたら・・・ 最近受診した患者さんは、「先生は優しいのに職員とぶつかってしまったので医院を変えたい。」と言われて訪れた。衝突の中身は聞き逃したが、優しい先生を蹴ってでも医院を変えたいという親の気持ちにややショックを受けた。「医者を選ぶのは患者の権利である。」これは当然であり、最近ではセカンドオピニオンも常識になっている。さらに「職員を選ぶのも患者の権利である。」と言える。

数週間前、旅館の女将から電話があった。「板長が変わりました。」経験不足の板長に女将もいろいろアドバイスをして、レベルアップを図ろうとしたがだめだったらしい。旅館の利用客が減れば死活問題である。やむなく板長交代となった。京都から招いた中堅の板長は、北陸の食材を上手にアレンジして客の舌を満足させてくれるという。その味わいを実感するまでに、大した時間はかからなかった。こんな時、わが夫婦は素早い意見の一致を見る。期待した以上の食材の生かし方、器の使い方に、夫婦ともに舌を巻いた。この正月は、予約も取れない程であった。噂を聞いた以前の常連客が戻ってきたのだ。女将だけではなく、仲居の表情も明るかった。食事を運ぶ彼女達の笑顔や語りかけも客の心を和ませてくれる。お客が満足する味を運ぶ役目が嬉しいのだ。「花より団子」と言うが、やはり花も団子も合わせて「お・も・て・な・し」と言える。

最近は、外来を受診する親と子どもの様子が変わってきた。「今朝から鼻水が出てひどそうです。」と言って心配顔のお母さんがニコニコ顔の赤ちゃんを連れて受診する。内心は「こんな軽い症状で病院へ来たら、他の風邪を貰って帰るだけだよ。」という感じだ。核家族や少子化が、親の育児知識の情報伝達を阻害している。だからと言って、学校で子育ての仕方を教えてくれるわけでもない。休日の小児科当番医でも患者の層は、一般外来と変わらない。来院する子どもの殆どが軽症患者である。パートの母親の帰宅時間が午後6時ではそれも当然だ。親子が、とくに母子は追い詰められている。ワーク・ライフ・バランスの推進や子育て教育の普及など抜本的な改革が急務である。

外来を受診する母子、すべてに花と団子の「お・も・て・な・し」をしてあげたい。心配事に応え、最後はさわやかなデザートで締める・・・「子育て、大変だね。よく頑張ってるよ。」
院長のひとりごと