少子化には理由がある
2015/06/02
今年5月5日の日本経済新聞「社説」は「社会全体で子育てを支えよう」という見出しで日本の差し迫った少子化状況への対策を示す一文であった。

少子化に向けて行政も色々な智恵を絞っていることは確かである。それが効を奏していない理由は何なのだろうか。
うたい文句は決まっている。「子どもが健やかに成長する環境整備」「子育てに希望が持てる社会」その為に行政も私たち1人ひとりにも出来る事はあるはずだと呼びかけている。

私たち団塊の世代も67才になった。
昭和22年に生まれた団塊の世代は、衣食住には苦労してきた世代であるが、子ども生活は謳歌した印象が強い。ガキ大将を中心に、徒党を組んで冒険ごっこに汗を流した。薄暮となり何処かの母親が「ご飯だよ—」というかけ声が、皆が家に帰る合図であった。親も忙しく子どもの監視など出来るはずもない。その日にあった子どもの話す冒険談に耳を傾ける事が、安らぎであったであろう。
技術大国日本は、急速過ぎる発展を遂げ、皆が中流階級と認識する時代になった。そして、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気:バブル景気からバブル崩壊へと続く不安定な社会の状況は、少なからず子ども達の生活にも大きな影を落としてきたと言える。この間に子育ての様相も随分変化してきた。65年前は3人に1人、30年前は5人に1人、現在は8人に1人が14才以下の子どもの割合である。
少子化は着実に進行している。

バブル以後、バブル時代の生活を継続するためには、夫ひとりの稼ぎでは無理である。共稼ぎ家庭が多くなり、子どもは乳幼児早期から保育所通いが当たり前になった。
都会では待機児童を如何に減らすかが政治手腕の見せ所となる。結果、保育所と幼稚園の機能を合わせ持ち、どちらも早期から長時間預けられる「こども園」が誕生し拡大しつつある。
「教育と保育を平等に」をスローガンとしており期待も大きいが、消費税の増額という将来に期待する予算での船出は心許ないと言わざるを得ない。更に「子どもの貧困」が叫ばれているが、要は「家庭の貧困」である。
景気の良い大企業の陰で、小さな会社はその恩恵を受けていない。当然、給料は少なく共稼ぎせざるを得ない。
贅沢を求めて共稼ぎのつもりが、普通生活を求めるが故の共稼ぎに変わって来た。母親のパート仕事は、いつの間にか午後6時が普通になった。
処方する薬を朝昼晩の3回ではなく、朝晩の2回に分けて欲しいという母親が多い。午後6時に勤務先を出て、夕ご飯は7時から8時、お風呂に入って9時に子どもは就寝。家の片付けが終わるのは10時。子どもを抱っこする暇も余裕もなく毎日が過ぎて行く。
親に甘えられない幼児は心の中で叫んでいる。「幼稚園で良い子になっているんだから、もっと抱っこしてよ」母は、「疲れているから近寄らないで」そして、ぐずる子ども。「うるさい!」いつの間にか子どもに手を挙げていた。
虐待はそれ程縁遠い出来事ではない。いつでも身近で起こりうる。
子どもも親を見ていて思うだろう。「大きくなったら、サラリーマン」「出来れば大きな会社がいいな」
子どもの夢を育てる社会はどうしたら出来るのだろう。子どもが夢を持てない社会に子どもを産み落としたくない。
母親としての将来への予感は敏感である。赤ちゃんに余裕を持って接する事が出来ない社会は辟易だわ。子孫を大事にしてくれない社会なんて。余裕があればもっと子育てに参加したいのに。子育てを家事の一部だと考えるのはおかしい。片手間では出来ないのが子育てなのに、子どもを誰が育てても同じだと思っているの?
日本はOECDの中でも、子どもにお金をかけない国だそうよ。

公共広告機構(現:公益社団法人ACジャパン)のテレビ放映で、母親が大きな女の子を抱きしめる作品があった。「抱きしめるという愛情の表現もある」というような言葉と共に流れたが、これこそ日本の現状を表していた。
子どもを愛しいと思っていても、言葉や身体で表さないと伝わらない。乳幼児期から子どもを抱きしめる心の余裕と時間が必要なのだ。その繰り返しが、親と子の絆を確かな物にする。
お誕生日やお祭り、海水浴や山登り、ゆっくりお家で話したり、休みの日には散歩をしたり・・・お互いが何を考え、何を欲しているか。
子どもを生みたいという気持ちは、子育ての難しさと楽しさの中で自然に育ってくる物に違いないと思う。子どもを母親から預かり過ぎて、接触が少なすぎれば、子育ての難しさも楽しさも薄っぺらな体験で終わってしまう。それは、本当の子育て支援とは言えないはずである。また、乳幼児を育てている親には国として社会として、母子家庭・父子家庭に限らず経済的援助も促進剤となる。

親子連れに会った時は、「可愛い」「今、何歳ですか」「1歳半です」「可愛い盛りだね」「お母さんも疲れるでしょう」何気ない会話も、親の疲れた気持ちを癒す特効薬に違いない。
乳母車走行時、段差に気づいて手を添えてくれる若者。子どもを「人類の未来」として受け入れる気持ちが満ちあふれている。
「社会全体で子育てを支えよう」という表題は、子育て中の親、特に母親が、未来を担う子どもを育てる「誇り高き仕事」の主役として、ねぎらい、感謝し、支援する気持ちが伝わる社会を指している。
これこそ少子化霧散への扉を開ける鍵であろう。

院長のひとりごと