こころの病気が増えている
2016年1月16日
外来を受診する子供たちに、笑顔が少ない。「『胸が痛い』と、随分前から訴えている」と、母親と受診した小学三年生の女の子。お話を聴きながら、「そりゃー、痛くもなるなー」と納得する。なんと、五つも習い事をしている。学習塾、ピアノ、そろばん、バレーに英語。自由な日は一日もない。母親は得意そうに、こう言った。「この子がどうしても習いたいって言うから」。さらに話を聴いてみると、子どもの本当の心が見えてきた。「頑張ると、お母さんが褒めてくれる」。子どもにとってお母さんは、自分が愛されているという自信を持てる最高の存在なのだ。お父さんは忙しい。たまに「元気?」って声をかけてくれるけど、「元気じゃない」とは言えない。五つの習い事を手抜きなしでがんばることは、お母さんがこちらを振り向いてくれる唯一の手段だったのだ。親は子どもを愛している。しかし、それが子どもに伝わっていない。心で思っていても、言葉や態度で表さないと伝わらない。日本人の奥ゆかしさは、愛を伝えるためにはブレーキとなる。また、忙しすぎる日本の親は、愛を伝える作業に、つい気を抜いてしまうのだ。

心の病気には、きちんとした理由がある。「火のないところに、煙は立たない」ということわざは、本当だと思う。現代の日本社会で吹き荒れている子どもたちの問題行動は、それなりの理由があるのだ。中学一年生が五月の連休後、学校を休み出す。親はビックリして、相談センターの門をくぐる。父「あんなに素直で、反抗なんて一回もしたことがない息子が、どうしてなんだ」。母「小さいころからお手伝いが好きで、いつも頼りにしていたのにどうしてなの」。不登校の子どもが養護学校のある施設に、入所を希望して来られたときの共通の会話である。家族内の緊張状態が子どもを素直にさせる。子どもにとっては、その環境で生きていくためには、よい子でいる必要があったのだ。別に、特別な家庭だけの問題ではない。子どもが学校へ行き渋る行動は、彼の初めての意思表示だったのだ。子どもが自己主張しないということは、親との切磋琢磨がないということ。親にとっても子どもにとっても、心が育つには、ぶつかり合いが必要なのだ。それが、家庭の存在価値である。子どもを一つの人格として認め、愛し、信頼し、怒り、笑い、泣く・・・人を育てるということは、そういうことだと思う。

早期保育、病児保育、夜間保育、延長保育などの利用者が増えている、日本の子育て事情は複雑である。いずれも、子どもと親の関係を疎遠にする危険性を孕んでいる。。子どもの貧困は、親の貧困であり、その現実が母親の早期就労を固定化する。子どもは誰が育てるのか。責任者は誰なのか。再度、納得できる議論が必要である。さらに、充分なスキンシップと愛で裏打ちされた言葉や態度が子育ての基本と捉え、国として全力を尽くすべきである。社会の弱者である母子を守ることが、こころの病気を予防し、かつ、子どもたちの笑顔あふれる日本へと向かう、唯一の手段であると思う。
院長のひとりごと