医院の案内
  • エントランス

    アンパンマンがお出迎えです。スリッパは、その日の気分で選んで下さい。
    たまには大人用の大きなのを突っかけてみたい。でも転ばないでね。
  • 待合室から診察室

    カラクリ時計が、時間ごとにメロディーを奏でます。診察中に鳴りだしたら
    一目散で駆けつけよう。
  • 受付

    優しいお姉さんが「今日は、どうされました。」「もう治っちゃった。」
    病院に来るだけで元気になる事もあります。
  • 待合室

    待合室は駄菓子屋おもちゃで一杯。
    高級なのは無いから壊していいよ。
    おもちゃ壊しは小さい頃の院長の趣味でした。(どうして動くんだろう。不思議だなー、ガチャン!)
  • 中待合室

    パンフレットや絵本を見ながら順番をお待ちください。本は貸し出し出来ますから、ご遠慮なく。
  • 吸入の場所

    吸入の場所は、マグネットと音有りおもちゃで気をそらそう。5分間はすぐ終わります。
  • 診察室

    診察室は出来るだけ子供の気持ちが落ち着くように。
  • 診察室2

    雰囲気を変えたい時は、ここでも診察出来ますよ。
  • 隔離室

    悪性のインフルエンザやはしかの診察は、一番奥の部屋でやりますよ。
    扉を閉めてお待ちください。
ごあいさつ
むとう小児科医院ホームページを、訪れていただきありがとうございます。
平成元年4月に石川県松任市で小児科医院を開業して8年目を迎えました。
思えば金沢大学医学部小児科へ入局以来アレルギーグループに所属し早くも20年余りが経過しました。
時代が変化するように子供の病気も年毎に変わっています。新米医者の頃よく診た化膿性肺炎や髄膜炎に出会うことはほとんど無くなりました。それに変わってアレルギー疾患や心身症が増えています。
小児科医としてたくさんの子供達、そして一生懸命子育てに励むお父さん、お母さんに出会いました。同じ子供を持つ親として悩みは一人だけのものでは無いことを実感しています。
自分の為、またそんな親御さんの少しでもお役に立てればと思いこのホームページを作りました。気軽に訪れていただき、気軽にご意見をお聞かせ下さい。
院長の自己紹介
武藤 一彦(むとう かずひこ)
昭和22年6月、神奈川県横須賀市で生まれました。
幼児期は気管支喘息で、母親に相当心配をかけました。夜になると、母が私の胸に耳を寄せてゼーゼーを聴きに来るのです。子供心に母に心配をかけまいと、ゆっくり息をして、音が聞こえないようにした記憶が今でもはっきりと残っています。幸い私の喘息は軽かった為に小学校入学頃には、ほとんど出なくなっていました。
小学校時代は、祖母と同居したために、嫁姑の関系で反対に相当苦労をかけられました。
中学校では科学部に所属し、その日の不快指数ばかり計算していた覚えがあります。
高校に入学してからは、皇太子(現平成天皇)が、テニスで美智子さんと結ばれた影響でテニス部に入りました。しかし、真面目に練習しないため、ものになりませんでした。高校3年では、受験の厳しさを認識しなかった為、4つの大学受験に失敗しました。追い撃ちをかけるように、予備校の試験にも落ちました。眼のまえが真っ暗でした。
この頃、ある病気で近くの外科病院へ入院しました。その先生の格好良さが忘れられず金沢大学医学部を受験しました。浪人中に失恋したこもあって、北陸の鉛色の空が見たいという気持ちも強かったのです。予備校で見た数学の問題が3題も出ました。当然受かりました。まったく神様のおかげです。
卒業間近になり、子供と話が合うほうだからという単純な理由から小児科に入ることを決心しました。入局すると、私が昔喘息だったことを知っていた先輩がアレルギーグループに入るよう半ば強制的に誘われました。
以来24年間、アレルギーの病気に苦しむ患者さんの手助けをしてきました。また、開業前まで7年半勤めていた医王病院では、喘息児だけではなく、学校へ行けない子供達や一言も喋らない(緘黙症:かんもくしょう)子供達、食べることを拒否してしまった子供達など心の病気を持った子供達にも出会いました。
その経験から、「生きることが楽しい。」という体験を積み重ることが子供の心の成長にいかに大事であるかも学びました。
生まれてからの勉強と仕事
昭和35年 神奈川県横須賀市立坂本中学校入学
昭和38年 神奈川県立横須賀高等学校入学
昭和42年 金沢大学医学部入学
昭和48年~56年 北陸三県の公立病院多数勤務
昭和56年 国立医王病院勤務
平成元年4月 石川県松任市宮永市町にて小児科医院を開業
資格
昭和45年 普通自動車免許取得
昭和48年 第55回医師国家試験合格
平成元年4月 日本アレルギー学会認定医取得