四方さん、ありがとう

 北陸の冬ももうすぐ終わりを告げようとしています。今年は、例年になく雪に見舞われた年でした。でも20年前に比べれば、大したことはなかったですね。(同年代以上の方々に呼びかけています。)
 さて、101号のマンスリーニュースは何にしようかと考えていた時、私の以前勤務していた医王病院に筋ジストロフィーで入院中の四方建二さんから二冊目の詩集が届きました。四方君のお姉さんが大事そうに、そして誇らしげに手渡してくれました。この場を借りてお礼申し上げます。四方さん、貴方のお話をマンスリーニュースに書かせください。

  筋ジストロフィーという病気

 筋ジストロフィー(筋ジス)という病気に初めて出会ったのは、金沢大学付属病院で研修していた時です。医師としては、駆け出しの頃ですが、「最近転ぶことが多い」という訴えで受診された4、5才の男の子は、不安そうに教授の診察を受けていました。記憶に残っているのは、彼のふくらはぎが、プクッとふくれているということでした。それ以外は、普通の元気な男の子です。後から出た血液検査で筋肉が壊れているとき上昇するCPKという酵素が、とてつもなく高い値を示していました。医学教科書には、病気の経過が細かく書かれていましたが、全身の筋肉が次第に衰え、最後には呼吸の筋肉もおかされていく大変重症な病気でした。

  医王病院にて

 昭和56年10月、小児科医として9年目に国立金沢病院から小児喘息の施設入院療法を行う目的で医王病院へ赴任しました。この頃は、全国の結核療養所の転換期で、色々な特色を持った病院へと変わっていく時期でした。医王病院も、その前から重症心身障害児や筋ジスを受け入れていましたが、入院が長期に及びやすい腎臓病や重症小児喘息を受け入れるための子供用病棟が開かれたのでした。
 ここで初めて、多くの筋ジスの患者さんに出会いました。歩行が難しくなると普通の学校では着いていけず入院となります。もちろん、病院には県の養護学校が併設されていて勉強をしながらの闘病生活です。病院の職員も頑張っています。食事や日常生活の介助。筋力を保持するための訓練。残った機能を出来るだけ有効に使うための装具。それぞれの職種が、その子に応じた最良の対応を目指しています。

  四方さんとの出会い

 私は医王病院では、喘息児の受け持ちでしたが、月に何回か回ってくる当直の日は、患者さんが調子が悪くなると、どの病棟でも呼ばれて診察しました。赴任して何年目かの事ですが、四方さんは夜だけ体外式の人工呼吸器を着けて生活されていました。夜間の呼吸状態が悪くなると往診です。あれからすでに十年以上がたってしまいました。
 四方さんの第二詩集「雫」を読ませていただきました。不自由な体でパソコンを駆使して表現された言葉は、生きると言うことの重さをヒシヒシと感じさせます。とくに、自然の情景や音の変化、人への思いや思いやりの表現。五体満足な人よりも、多くを感じ、多くを表現しているように思います。不自由であるが故に、より多くを感じていられるのでしょう。
 
「身体は不自由でも
     俺は生きているぞ」

 四方さんの、そんな言葉が聞こえてきます。五体満足な人に、感じながら生きる事の大事さ、一日一日の大事さを教えていただきました。

  障害を持つ子の教育

 普通学校に心身障害を持つ子供達の入学が増えています。これまでは、養護学校入学が普通と考えられていましたが、親の希望や時代の流れの中で変化して来ました。私は、社会が障害を持った人たちを受け入れる一つの基礎になると思っていましたが、最近障害児に携わっておられる先輩がある意見を言われました。「普通学校に入れることは、それはそれで一つの意義はあるが、問題なのは、その子に応じた教育が出来ているか。!」
 確かにそうかもしれません。知能の遅れた子には、算数の授業よりも美しい物を見せたり聴かしたりする授業の方が楽しいにきまっています。そう考えると、普通の子ども達でもおなじだなと思います。
 
その子の個性を生かせたら、先生に百点をあげるという教育はどうでしょう。
                              (小声で)

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