「叫びたいー」:3才児神話・子育て支援について

 昨年同様、今年も猛暑でしたが、一雨もらって、少し涼しくなったかなというところです。気がついたら既にお盆です。お盆を過ぎると急激に秋の気配が深まっていきます。北陸の秋は短くてすぐ冬支度。毎年同じ事ばかり話題にしています。昨年より猛暑の平均気温が2〜3度高いと聞きました。地球温暖化はまた進んだようです。
 さて、今月のマンスリーニュースは、「叫びたいー・・・」という大変ご迷惑な表題で叫んでみたいと思います。皆さんもご一緒にどうぞ!

  3才児神話・子育て支援について

 3才児神話については、いろいろ言われていますが本当の意味はどうなのでしょうか。母親、特に女性を家庭に縛り付けるための封建時代の遺物であるという意見が大きく、ウーマンリブの闘志には鼻持ちならないものかもしれません。いつの時代にこの言葉が出来たのかは知りませんが、子育てに母親がすべて参加しないと子どもがおかしくなるというのは、確かに真実を伝えてないと思います。3才児、この生まれてから3年間という意味は、初めて出会う人間、特に母親・父親との信頼関係を育てる時期ととらえるべきと思います。母親が仕事を持っていても、子どもを育てる責任者は私なんだという意識があれば問題ないと思います。ただ、最近のように生後3ヶ月から保育園に預けてしまう体制は、人間が動物である事を考えるとあまりにも早い分離ではないでしょうか。親子の信頼は緊密接触があってこそ育つものだと思います。母も子も、お互いをこの子の母として、また子としての認識が育つ前の別れだと思います。子どもは自分の親が保母さんだと勘違いしている事も多いようです。親も子どもの母を求める泣き声や、母乳を与えているときの母としての幸せ感、おしっこやうんちに耐性が出来ておむつ交換を苦でなくなる時期、そして次第に子育てが楽しいという気持ちが育ってくる・・・そんな子育ての楽しさを味わう暇もなく、愛情も育つ前に分離されてしまう。これほどの悲劇があるでしょうか。社会のニーズにあわせて、安い労働力としてこき使われてしまう母親のエネルギーは、本来生まれたばかりの子どもたちに与えられるべきなのです。社会が子育てを男の仕事より下に見ているという日本の現状は日本の将来に危惧を感じざるを得ません。日本の未来を担う子どもたちを育てるという仕事が、片手間では出来ないことを認識すべきです。子育ては社会の大事業であると思うべきです。男の仕事以上に大事な事業ととらえるべきなのです。その立場に立てば3才児神話でああだこうだと議論している事自体がナンセンスです。いかに不況であっても、そのしわ寄せを弱い立場にある子どもや母親に向けるべきではありません。こう考えると厚生省の考えている子育て支援という事業が、いかに逆方向を向いているか分かります。「子どもは保育所で生後3ヶ月から、かつ夜遅くまで預かりますよ。病気になったって大丈夫。病児保育だってだんだん充実してきますよ。お母さんは気にしないで会社のため、社会のために頑張ってくださいよ・・・・」本当にこれが子育て支援なのでしょうか。母と子どもの立場に立った子育て支援を目指すべきなのではないでしょうか。「仕事をしていても、産後は1年間は子育てに専念していいですよ。子育ての楽しさを十分味わってください。勤務は1年間休んでも席は空けておきますよ。会社にとっても、それが人材育成という将来に対する大きな資産なんですからね。愛情深く育ててあげてくださいね。会社に復帰してからも子どもが病気の時は、ペア勤務態勢で応じましょう。2人で1人の仕事を受け持って、緊急時には気兼ねなく子どもの看護が出来るようなシステムは大事ですね。子どもは病気の時こそ親の看護を必要としているのですから。元気になったら親が愛してくれているという自信を持って子どもは保育園に帰っていくでしょう。子どもの心が安定していると親も仕事に頑張れるものですー・・・・」
 うーん。目が覚めました。夢だったのかな?いつか現実にしたいな。子どもが幸せな社会。親が子育てを楽しめる社会。少子化なんか飛んでいけの社会。それが私が小児科医としての最高のアドボカシー(主張)です。

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