障害児を持つということ  

 待ちに待った春がやって来ました。新聞によると今年の積雪量は平年の六分の一だったそうです。実感としてもそう思える年でした。雪国にいると地球温暖化の影響を肌で感じることが出来ます。本当に「これはおかしいな」という不気味な感じです。

 さて、長野冬季オリンピックが終わって、5日からパラリンピックが始まりました。障害を持ちながらも全力で自分の可能性を最大限活用している姿に頭が下がる思いがします。現代社会は、事故や病気など誰でもが突然に障害を持ってもおかしくない時代です。そんな思いが観戦している私たちにも共感を呼び起こすのでしょう。

 私も小児科医としてたくさんの障害を持つ子供たちを診てきました。未熟児として生まれ無呼吸から脳性麻痺になってしまった子供。生後すぐ脳内出血を起こして後遺症として半身の麻痺が残ってしまった子供。また、手足の不自由はないけれども普通生活が出来ないような慢性の病気を背負ってしまった子供。

 障害児を持ったお父さんお母さんとの出会いも、私にとっては大変貴重でした。親御さんが一生懸命頑張っている姿は、子供に対する親の思いを、小児科医としてどう受け止めるべきかを再認識させてくれました。私の無責任な子育てにもいい勉強になりました。親は、障害を持った自分の子供をそんなにすんなりと受け入れられるわけではありません。その子と毎日接する中で、長い時間をかけ少しずつ受け入れていくのです。健康な子供を持つ親よりも、もっと深く自分を見つめ、子供を見つめながら親になっていくのです。

 私の知り合いの画家夫妻は、長男が脳性麻痺で施設に入院されていました。あるとき、そのご夫妻の絵画展のチケットをいただき家内と見に行った事があります。奥さんの出品された大作には、その子供が天使のように描かれていました。知能に障害を持った子供は、赤ちゃんのまま大きくなります。人間社会の醜さや煩わしさとは無縁です。赤ちゃんのままの汚れのない姿は天使のようなものかもしれません。健康な子供は、成長するにつれて、人間のいい面のみならず処世術としていやな面も身につけていきます。それを「ああ、この子も大人になったなー」と感慨深く感じるのでしょうが、これでいいのかなーとも思います。人間・・本当に複雑ですね。いや、わがままなのかな。 

 最近、インターネットでダウン症のホームページを見ていたところ、感動的な文章に出会いました。知り合いのダウン症を持つお母さんに聞いてみたところ、そのお母さんもその文章を読んで、山を乗り越えることが出来たと言われました。皆さんにも披露しますので、人ごとと思わないで読んでみてください。


  わたしたちのねがい

             染色体異常の子どもを持たれたご両親のために

                天国の特別なこども

会議が開かれました。

地球からはるか遠くで

“また次の赤ちゃんの誕生の時間ですよ”

天においでになる神様に向って 天使たちは言いました。

“この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。

この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。

もしかして 一人前になれないかもしれません。

だから この子は下界で出会う人々に

とくに気をつけてもらわなければならないのです。

もしかしてこの子の思うことは中々わかってもらえないかもしれません。

何をやっても うまくいかないかもしれません。

ですから私たちは この子がどこに生れるか

注意深く選ばなければならないのです。

この子の生涯が しあわせなものとなるように

どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげて下さい。

神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。

その二人は すぐには気がつかないかもしれません。

彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。

けれども 天から授けられたこの子によって

ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。

やがて二人は 自分たちに与えられた特別の

神の思召しをさとるようになるでしょう。

神からおくられたこの子を育てることによって。

柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ

天から授かった特別な子どもなのです”

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