被虐待児症候群について

 被虐待児症候群(あるいは愛情遮断症候群)という病気をご存じでしょうか。欧米では随分前から問題になっていましたが、日本でも増加してきています。つまり、親が子供に精神的、肉体的に暴力をふるい、最悪の場合は死に至ってしまう状況をいいます。そうならない前に子供を親から引き離し、親と子供の気持ちを理解しながら、時間をかけて安全な環境を確保しなければなりません。

 私も以前勤務していた病院で身長が異常に小さいという訴えで来院した子供が、被虐待児症候群による低身長だった場合を経験しました。

 原因も含めてお話ししたいと思います。

 表情の無い女の子

 大学病院からの紹介で入院してきた女の子は、その時5才でした。表情も乏しく異常に痩せて(九キロ)、身長も小さな(八十六センチc2才相当)その子の身体には、皮膚に多数の火傷の痕がありました。胸のレントゲン写真を撮ってみると、肋骨に骨折した痕も見つかりました。言葉も理解力も遅れていました。

 母親に話を聞いてみると、数年前から夫と別れ話が出ていて、子供が言うことを聞かないと、ついカッとして叩いたり突き飛ばしたりしてしまったとのことでした。しかし、この子の妹は、よく言うことを聞き、母親に可愛がられていました。悪いと知りながら、妹と比較してしまい暴力を振るってしまったのです。厳しく見れば、母親は傷害罪かもしれません。しかし、母親を捕まえても何の意味もありません。出来れば夫婦の調整を計り、子供にとって住み易い、夫婦仲良い環境を再現する事が治療の目標になります。その間、母親と子供は距離を置いて悪循環を断ち切る必要があります。

 愛情は身長を伸ばす!

 第二次世界大戦の頃、外国でのお話です。親のいなくなった子供達を収容する施設で、愛情深い園長のいる施設と愛情の少ない園長の施設がありました。愛情深い園長に育てられた子供達は、のびのびと育ちました。愛情の少ない施設の子供達は、いつも叱られてばかりいて、身長の伸びも悪かったそうです。ところがその施設にも数人のすくすくと育った子供達がいました。さて、どうしてなのでしょうか。このクイズ分かりますか。・・・

 そうです。その子供達は、愛情少ない園長に気に入られた子供達でした。

 愛の力はものすごい

 さて、親から離れて病院に一人で入院した女の子のお話に戻ります。彼女には、愛情深い保母さんが係りとして選ばれました。他の子供達が病院付属の学校へ行っている間、毎日、朝から夕方まで彼女が母親と幼稚園の先生代わりです。入院の日々が過ぎるに連れて、それまで歩行も出来ずいざっていた女の子が歩き出しました。時に笑顔を見せるようになりましたが、それにもましてびっくりしたのは、食欲の異常な亢進です。自分のを食べ終わると隣の人の食事にまで手を着けました。それだけ食べることも制限されていたのでしょう。みるみるうちに体重も身長も伸び出しました。心と身体が緊張から解きほぐされ、愛を持って彼女の心を受け入れることによって、どちらの成長も堰を切ったようにあふれ出したのです。入院時に調べた成長ホルモンの検査では、ほとんど反応が無かったのに、入院6ヶ月後には正常な反応を示しました。精神と肉体はそれぞれバランスをとって成長しているのです。

 彼女の成長と共に親御さんにもカウンセリングが行われました。父親も良く理解してくれ、母親も彼女の発達が追いつくに連れて、妹同様に可愛がってくれるようになりました。外泊が許可された時も笑顔で病院へ戻ってきました。一年足らずの入院を経て、無事退院となり、外来で見守ることになりました。

 被虐待児症候群がこんなにうまくいくとは限りません。家庭の状況によっては、大きくなるまで施設に預けざるを得ない場合も多いと思います。社会が複雑になればなるほど、親の心にも余裕が無くなり、結局は弱い子供達が犠牲者です。大人達は、こんな子供達を出さない社会を目指さなければなりません。

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