街角を歩く 松任駅裏周辺
平成24年(2012年)6月16日 石川医報 第1517号
「街角を歩く」・・何とロマンチックな響きだろう。行った事もないフランス、それもパリの街角が浮かんでくる。誰とかは分からぬが、腕を組んで雨に濡れた歩道をゆっくりと踏みしめるように歩いている。当然会話はフランス語だ。行った事もないのに浮かんでくるのは何故だ? 欧州の古い町並みに憧れているからだろう。

24年前、開業のために小立野から松任駅裏に転居した。知り合いの不動産屋が選んでくれた土地は、駅から歩いて15分、閑静な農地、点在する農家が途切れる田圃の真ん中であった。粘土質の田圃を潰して土砂を入れ300坪が用意された。100坪は親戚が購入予定だった。親戚は出来上がった土地を見学に来て、余りの辺鄙さに購入を辞退した。仕方なく100坪余計に購入する羽目になった。半年余りで出来上がった我が城は、田圃の中の砂上ではなく粘土上の楼閣に見える平屋である。つまり設計士のアドバイスで医院部分は二階屋ではないが屋根を高くして見栄えを良くしたのだ。2世帯住宅も考慮してトイレは合わせて五つ。お陰で以前のような朝のトイレ合戦は無くなったが、全て予算に跳ね返った。

平成元年4月24日開業。医院の賑わいもなく、不安な日々を送りながら夜は犬を連れて「農道を歩く」。年ごとに付近に住宅が増えた。ある先輩は言った「小児科で開業するなら周囲にアパートがある場所が良い」と。その時はただ聞いていたが、その意味を噛み締めた。豪邸には、既に風邪を引きやすい赤ちゃんはいないのだ。開業医は運動不足である。次第に体重が増えた。また、我が持病「不眠症」(後に「むずむず足症候群」と判明)も佳境に入り、眠気を催すための深夜ウォーキングが始まった。ある夜、小雨の中を黄色い雨合羽を着て歩いていると、警邏中の警官ペアに遭遇した。若めの警官が足早で近寄って来る格好を見せたが、別の警官がその行動を押し止めた。不審者への職務質問を覚悟していたが何事もなくすれ違った。暗い街灯で人相も分からないのに職務質問をしなかったのは何故か。胸の高鳴りを感じながら考えた。身長から子どもと判断したのか。それならば余計不審のはずだ。いつしか小雨もやみ星が煌めいている。転居したての時はその星の多さに感動し、近くの牛小屋からの声や、風邪と共に鼻孔をくすぐる糞臭に足早に退散した。しかし、それにもいつしか慣れた。ハッと思いついた。私の着ていた黄色い雨合羽が原因なのではないか。不審者が夜道で目立つ黄色い合羽など着るはずがない。ベテラン警官のその判断の確かさ(?)に納得がいった。あくまでも予測なので自分勝手な納得ではある。

最近は、街角がふえ、農道は押しやられている。カエルの鳴き声も力ない。「診療をやめると、ボケるわよ」と家内は宣った。医師の診断力は、年令と共に低下すると考える。

経験は積むがその経験も古くなる。新しい知識への意欲が下がる。ベテラン警官とどう違うか。犯人は捕まらなければ迷宮入り。癌は見つからなければ死に至る。どちらも危険きわまりなしか。そんなことを考えながら今日も、ほぼ同い年の二代目老犬の振り絞る力に抵抗しながらパリの街角ならぬ「農道を歩く」。
院長のひとりごと