故郷は 遠きにありて 重きもの
リレーエッセイ (石川保険医新聞 2012年12月15日)
歳と共に、生まれ育った故郷が恋しくなるのはどういう現象であろうか。親は既になく、親に会いたいという気持ちではない。どちらかと言えばその土地の風景の懐かしさと、かつての思い出に心奪われるのである。高校を卒業し予備校への通学路であった電車駅までの町筋も現在は殆ど営業をやめ普通の家並みが続くのみとなった。それでも行った時は昔の思い出を掘り起こしながら歩いている自分に気付く。

生まれ育った横須賀の町は、事件が在る度にデモ隊が臨海公園を埋め尽くしたが、住民はデモ隊よりも見物人になる人が多かった。基地で働き生活の糧とする人たちの心の複雑さを思った。

1947年生まれの団塊世代も定年を迎える時期となった。昨年、横浜で学会があった時、高校時代の同級生3人でミニ同窓会を開いた。私はかつて住んでいた家を見に行った時の報告をした。バスの道路から外れ、縦横に続く階段道を登りながら何時になく不安を抱えていた。数年前に来た時、幾つかの家が既に人が住んでいないような雰囲気があったが、今回はその数が増えている印象を受けたからである。家に近づくにつれて不安が更に大きくなった。昔、懇意にしていた家が2軒、その入り口が蔦にからまれ人がいない様子がうかがわれた。240段の階段を登り切り、かつての自宅の玄関が見える位置まで来て、まず音楽が聞こえ洗濯物が目に入った。明らかに誰かが住んでいた。安堵の気持ちがあふれてきた。

私の祖父母がこの高台に居を構えた理由を聞いた事は無い。戦時中は軍艦入港時、将校用の下宿をしていたという。その家も一度火事に遭い、父は事情で手放したが、19才まで住んでいた私には大事な故郷である。多くの思い出と共に朽ち果てていく運命と分かってはいたが人の気配に安堵した複雑な思いは、故郷を捨てた者のみが感じるその重さゆえであろうか。
院長のひとりごと