あんなに素直だった子がどうして?
2017年1月18日
不登校という心の病気?

 中学1年生のA君が、5月の連休後に腹痛や頭痛を訴えるようになり、学校を休みがちになりました。最近では、ほとんど休校状態のようです。ビックリした親御さんが、本人を連れて慢性疾患を治療する病院に来られました。養護学校を併設する病院というのをご存じで来られたようです。お話しをお聴きすると、小さい頃から素直で親の言うことをよく聴いてくれる子どもさんとのことでした。入院して養護学校に通学する事になり、親が帰ろうとすると、A君は「絶対に入院しない」と父親の手を離しません。素直なA君の初めての力を込めた反抗でした。1時間ほどすったもんだした後、A君はあきらめました。腎臓病や喘息などの慢性疾患の病棟に不登校の子どもが初めて入院してきました。その後、しゃべらない子どもや髪を切って引きこもってしまった子、突然祖母と同じような行動をする子など、心の病気を持った子ども達が増えてきました。病院スタッフにとっても試練でした。心の病気の子ども達は、それまで積もり積もっていた心の中のわだかまりをすべて払拭するかのように行動しました。素直な子どもは、心の成長が遅れるのです。やんちゃな時期を経て、人とぶつかり合いながら成長するのです。反抗期は必要不可欠な大事な成長過程です。

 私の受け持った誰彼なくゲンコツで胸を殴る、学校では対応出来ないという小学校3年生の男の子は、私にも一発食らわせました。強烈でした。だと言って反撃するわけにも行きません。「ウーッ」とこらえて、何食わぬ顔で対応しました。事前に、彼が父親に虐待されながら育ったという事を聴いていたからです。ここで殴り返したら、彼の嫌う父親と一緒になってしまうのです。彼の信頼を得るには、殴らない人間もいることを教える事です。何発かの乱暴な挨拶を受け入れるうちに、彼のパンチの力に加減を感じるようになりました。後は、言葉のコミュニケーションです。彼氏の付けた私のあだ名は「ムトラン」でした。当時、むとうのランドセル」というテレビコマーシャルがあったのです。

 母親に、家庭の様子を聴きました。家庭内暴力(DV)に違いないのですが、母の愛に恵まれず育った父親にとって、結婚した女性は母であり、生まれた子どもはライバルだったようです。人間という生き物の複雑さに心が痛みました。悪い人間はいないのです。しかし、その人間が作り出す悪い環境はいくらでもあります。


素直という我慢

 様々な心の病気の子ども達の出会い、その状況を理解するたびに、心の病気とは、追い詰められた人間がさらに生きるためにとる、止むに止まれぬ無意識の行動ではないかと考えるようになりました。しゃべらず動かない、その場でおしっこまで漏らしてしまう女の子は、病院内でも同様でした。しかし、気の合う子どもと友達になるにつれて、その子とお話しして、いつの間にか歩いている姿を見かけるようになりました。外の世界とは違って、自分を守る必要がなくなったのです。約1年後、彼女から手紙をもらいました。「退院させてください」、そして退院しました。その後結婚し、子どももいるという噂を聞きました。

 髪の毛を切って引きこもってしまった女の子は、入院後も部屋の片隅です。腎炎の女の子と友だちになり変わって来ました。家庭は父母の心のすれ違いです。その緊張関係が彼女を素直な何でも聴いてくれる子どもに見せていました。緊張状態の家庭で子どもが生きていくためには、甘えも反抗期も不要です。すべて我慢という石の下に押し込めました。中学になり髪を切りました。精神科の先生は「自殺したのね」と一言。耐えられなくなって自殺した。髪を切って閉じこもるという行為は、そんな意味があるという指摘でした。腎炎の友だちとの関係が、「自殺したい」という気持ちをほぐしてくれたようです。


家庭における爺婆の存在

 核家族が増えています。コミュニケーションの下手なママさんは、本やインターネットから仕入れた情報で、子育てをしています。本通りに行かないとイライラして、子どもについ暴力をふるってしまうこともあるでしょう。2世代住宅で、お年寄りの知恵が伝わると思っても、隣や上下に住んでいても情報の交換が十分で無いことを感じます。ママ:「熱でたから病院へ連れてって。」お婆ちゃんはドクターの前で:「いつも見てないから分からない。」ドクター:「今度はママに病状のメモをもらって来てね」と伝えます。いつもの外来の会話です。

 突然、お婆ちゃんと同じ格好をするようになった中学生の女の子。どうしてだろう。お母さんにお話しを聴きました。「妹がいるんだけど、その子が出来るんでつい比較してしまって。」お母さんはだいたいの原因は分かっているようです。腰の曲がったお婆ちゃんは、優しくて「はい、はい」と両手を合わせながら拝むようにお辞儀をするのですが、この子も同じように、眼を細めて同じ仕草をするのです。いつまでもその格好を続けています。家庭内で尊敬され、誰にでも優しいお婆ちゃんになりたかったのでしょう。平等な存在であるお婆ちゃんに救われたのです。


子どもは天使

 子どもはこの世の中で一番優しい存在です。夫婦喧嘩をした時、いつもはしない、お手伝いをしてくれます。仲が良くなるように、夫婦の仲を取り持って言葉をかけてくれます。家族が仲良いときは、甘えます。甘えすぎて怒られます。親の顔を見ながら行動しています。つまり気遣いの人であり、その経験を通して人間として成長します。

 子育ては、片手間に出来る仕事ではありません。真剣に立ち向かうべき仕事です。母親の子育てエネルギーは相当なものですが、そのエネルギーをすべて子どもに向けても不足気味です。核家族の現在、父親がお手伝いするのは時代の流れです。父親の育児休暇制度を存分に活用すべきです。父親が親としての認識を持って子育てを支援した時、多くの問題が解決出来るような気がします。夫婦で子育ての話が弾むとき、夫婦の仲が深まるでしょう。生まれてきた子どもが、仲の良い父母に出会う事は何にも増して幸せな事です。

 そして、みんなの心に「人生は楽しむためにある」という言葉が芽生えたなら、心の病気は退散し、ワーク・ライフ・バランス(*)という新しい世界が開けることでしょう。


(*)ワーク・ライフ・バランス(英: work–life balance)とは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指す。
院長のひとりごと