少子高齢化に悩む国:日本への提言
2018年2月16日
〜高齢化社会は必然ではない。子どもを生みたくなる国を目指して〜

 我が国では、乳幼児早期保育(生後2ヶ月から)、延長保育、病児保育など子どもを預かる事が子育て支援として行われ、ひたすらその受け皿が拡大されています。しかし、これらは、乳幼児期の親子の絆を育む大切な時間を奪うという一面を持っています。赤ちゃんにとって、両親、特に母親の手元に置かれ、「哺乳」と「見つめ合い」を重ねる数年は、初めて出会う人間との信頼関係作りであり、心と身体の成長に不可欠な時間です。また、母の子どもへの愛情(母性愛)は、生んだ母に生まれつき必ず存在するという訳ではなく、赤ちゃんを育てていく課程で、その切磋琢磨の中から更に高まってくると考えられます。

 保育時間の延長は、母親に、「公の機関が預かるから、お母さんは、社会で働いてください。赤ちゃんの事は気にしないで、公にお任せください」という立場です。

 母親の愛情と子どもが人間を信頼する気持ちが育つ時間を国が奪っていないでしょうか。子どもが生まれて初めて出会う人間、父母との接触が充分に与えられていないと思います。勿論、これまで行われていた母親だけに育児を任せておいて良いはずはなく、父親が気兼ねなく育児参加が出来る環境や、周囲の人々の子どもを大事にする気持ちが伝わる日頃の生活も重要です。また、言葉だけではなく時間とお金で援助することも必要です。母親のパート勤務が午後6時までが当たり前という国です。子どもが将来、幸せになれない国日本を母親は見越しているのではないでしょうか。余裕を持って子育ても楽しめない国となってしまっている国で、誰が子どもを産みたいと思うでしょう。

 北欧の国々は、税金は高いが、その使われ方がハッキリ公開されているそうです。

子どもの育児支援に使われるならば、その税金を払うことに国民は躊躇するでしょうか。喜んで納めるでしょう。

 子どもは未来です。生まれた子どもを、愛情を持って慈しみ育てるという、日本を再生しないといけません。新聞紙上を賑わす子ども達の異常事件が理由無く出現する訳で決してありません。愛情不足、あるいは愛情の低伝達という、親の愛情が伝わりにくい育児環境が、自分に自信のない子ども達を作り出し、そして大人に育っているのです。時に起こる無差別殺人、人を傷つける行為の裏側には、自分に自信のない人間が更に自信を失わせる言葉をかけられ自殺に走る・・・しかし自殺への恐怖から無差別に人を傷つけ、一緒に死ぬ仲間を求めた行動と考えられます。これは極端な例かもしれませんが、まだ学歴社会がはびこっている日本では、自殺する若者や、何事にも自信のない若者が増えているのが現状です。

 子育て支援の方向転換が必要です。子育て中の若い夫婦の給料を上げることです。子育て中の父母の勤務時間を変更し、父親は午後5時までの常勤で残業をしないでも残業分ぐらいの給料にし、母親のパート勤務を午後2時まで、遅くても4時までとするとともに時間給を上げることです。また、子育て中の全家庭に、定期的な子育て先輩母親の訪問による「子育てなんでも相談おばさん事業」なども必要でしょう。

 子育て中の親子に経済的、精神的、時間的余裕を確保することが真の子育て支援と思います。病気の時こそ、母親が気兼ねなく会社を休めて、子どもの看護が出来る事が本当の子育て支援です。その時、母と子の強い絆が作られ、親の愛情の根が生えるのです。愛が伝わる育児環境を整える事が子育て支援の神髄と思います。

 イギリスでは、子育て中の母親がペアになって働き、急なお休みに備えるというシステムが考えられたそうです。最近では、自宅でもパソコンを通じて仕事が出来ることから、ネットを利用して仕事を休まずに子どもの面倒が見られるような事も行われています。

 国を挙げての少子化対策を今こそ本気でとりかかる必要があります。国としての予算も大きいですが、子育て家庭の生活を大きくかえる位の改革が必要です。親になるべき若者に浸透している『結婚・出産なんて「ぜいたく」だ』『ブラックバイトに、非正規雇用』『奨学金返済と実家からの独立不可』『栄養失調に生活保護』という若者の貧困からの開放が急務と思われます。若者の給料が安すぎるのです。

 若者は、未来の父親・母親であり、その子は次の未来を担う子ども達です。愛情に裏打ちされた子どもは、普通の大人に育ちます。そして、社会を担う成人となり自分の子どもを愛情深く育てる事が可能です。その連綿が人間の生存を支えてきたのです。

 子どもを普通の大人に育てるのに、お金をかけることが如何に大事であるかを国の最優先課題と捉えるべきでしょう。そして、国の未来にとって子育てが、男の仕事と同じ、あるいはそれ以上に大事な仕事であることを認識すべきでしょう。

 子育ての出発点は、女性が握っています。子育てを楽しめる国、道行く人たちが、乳母車を押す母親に気軽に声をかけ「可愛いね」「子育て大変だね」とねぎらってくれる国、国民みんなが子どもの大事さを教えられ、自分も大事にしてもらった思い出を胸に生きている人たちの住んでいる国。そんな国を目標にしたいです。

 さらに、日本では子育ての知識を勉強する時間はまったくありません。この「核家族の時代」に、言葉少ない母親は一人家庭で子どもと格闘しています。虐待が増えるのは当たり前です。早急に学校の授業の中に、出来れば小学校から子育ての学習時間を取り入れるべき時代に来ていると思います。中学・高校と実践を積み重ねながら子どもが初めて出来てもその学習経験が、子育ての迷いを和らげてくれるはずです。「子どもとは、何か。」「子育てとは楽しいけど、大変だよ。」という事前知識が、毎年増え続ける虐待を減らす1つの方策と思われます。

 予算は何処にあるのか。「子ども保険」という議論もあります。しかし、国として予算化するのが当然な事業であると思います。消費税のように、政治の駆け引きの道具として使われるものではありません。「子ども省」を創設し、子どもの未来は、国の未来であることを正しく認識し予算を確保することです。そして、子ども達の余裕ある生活を守る事です。子ども達が守られる国は、大人達も幸せです。

 お膳立ては国の仕事です。日本が現状に手をこまねいている時間はありません。
院長のひとりごと