叙勲とはなんだろう・・・ある小児科医から祝福の言葉を受けて
2020年4月29日

 お祝いのお言葉有り難うございます。

 東京在住の友人の話では、「東京の新聞には載らないよ。」という事だったので先生がご存じだとは思いませんでした。いろいろな情報網があるのでしょうね。
 でも先生のお言葉は格別です。1年ほど前から話は聞いていたのですが、受けるべきか、辞退するべきか迷っていたのです。戦後っ子ですが、戦争は大嫌いです。そこには国から受ける叙勲という言葉に素直になれない自分があります。

 横須賀という土地に生まれ、米軍基地のある生活を見てきたこともあるでしょう。米軍士官の闊歩する町には、制服に勲章を山ほど着けた上級士官が闊歩していました。勲章が多ければ多いだけ、多くの人の命を頂いたと言うことになります。手柄を立てた記念品が勲章というイメージに繫がります。日本でもこれは同じでした。昔、写真に写った日本の軍人さんの胸には多くの勲章が耀いていました。沢山の命をあやめた証が勲章です。

 3年程前から石川県保険医協会の理事をしています。県医師会を辞めた時、医師会で一緒に理事をしていた先生に誘われました。敬愛する先生だったので素直に従ったという感じです。県内で医科と歯科が良い関係を保ちながら活動する千名ほどの医師の団体ですが、勉強家が多く医療というものを違う角度から勉強する機会になりました。国から出る政策に素直に従うことなく、だからといって、ただ駄々をこねると言うのではなく、患者の立場に立って正論を語るという事です。そこには右も左もなく医療を受ける患者さんの為に勢を出している。あたかも小児科医のアドボカシーに通じる面もあると思います。物言えない子ども達に代わって、小児科医が子どもの立場で勢を出すという事に似ていると思います。いずれも弱い立場の人達に代わって勢を出すのです。

 理事になって、何となく勲章は縁のない物に思っていたのですが、間違いでもあったのか当たることになりました。平和の時代の勲章と戦争時代の勲章と、どう違うのか。人を殺すか、人を生かすか。小児科医の出来る事は、弱い母子の立場に立って勢を出すことだと思いながらやって来ました。それ故に頂けたのなら本当に嬉しいことです。そして70年前に作られた児童憲章のように、実行されず置いてきぼりで放置されては困ります。新しい成育基本法がその理念に沿って確実に実行されることを強く希望します。そうでなければ勲章も意味がなくなります。国が「子ども達を大事にしたい」と考えて私のような者に勲章をくれたなら素直にうけとります。

 この春の叙勲は、知事からの勲章授与も勲章を着けての皇居訪問も、コロナウィルスの為になくなりましたが、近々、知事の使いの人が勲章を届けに来られます。
『ありがとうございます。子ども達をもっと大事にする国、子ども達が「生まれてきて良かった」という国に変貌して下さい。』と伝えたいです。

院長のひとりごと