心配なM君のこと

 暑い夏にも別れを告げました。急に朝夕の冷え込みが厳しくなりましたが健康状態は如何ですか。先月のマンスリーニュースで喘息の話題を取り上げました。やはり、夏の間に気を許していた喘息の子供さんが、発作を起こして受診する事が多くなりました。秋は防波堤を高くしてください。喘息発作ゼロレベル作戦をお忘れなく!
 さて、今月のマンスリーニュースは、「M君のこと」を取り上げます。以前にも少しお話したことがありますが、最近よく話題に上る幼児虐待とも関連していますので再登場ということになりました。実は保険医協会の新聞に、「子供の心」特集を載せるということで書いた原稿なのですが皆さんにも読んで貰いたいと思いました。

君が、誰彼無く暴力を振るうために普通学校では手に負えないということで、私の以前勤務していた病院に入院してきたのは昭和62年頃のことです。暴力を押さえるための向精神薬は、虚ろな眼をした小学3年生を作り出していました。
 生育歴を聞いてみると、父親に赤ちゃんの時から暴力を振るわれて育ってきたという事が分かりました。 君の暴力はすでに保育所時代から始まっていました。理由無く突然に殴るという、普通では理解し得ない行動です。父親がM君に暴力を振るった背景には、父親の甘えの対象であった妻が、 君の母親としての比重が大きくなったため、彼への嫉妬心が基盤にあることが推察されました。母親も夫の暴力を恐れてM君を守れなかったようです。入院の数年前に夫婦は離婚して、彼は母親に引き取られました。小学校に入っても暴力は止みません。彼には小さい頃から教えられた暴力だけが表現手段だったのでしょう。その暴力を使って、誰が自分の見方なのか試していたのかもしれません。
 主治医の私の役割は、時々受ける3年生の鉄拳の痛みをこらえながら、暴力に対して暴力で返すという人間だけでは無いことを教えることでした。3年生の拳は相当応えましたが、笑いながら「そんなことをしてはだめだよ。」と言いつつ少しずつ彼の心の中に入っていきました。週一回、当直の日は、医局に呼んで一緒に遊びました。長年の体験がそれほど短期間で変わるわけも無いのですが、現場で接する人間が相当のエネルギーを使って信頼関係を作ることが、心に傷を受けた子供たちに対する最良の方法と思いました。  
 今、未成年者の凶悪犯罪が表面化するようになってやっと子育ての議論がにぎやかに交わされるようになりました。問題の17才の犯罪は、その何年前にさかのぼって芽生えて来ているのでしょう。 
 昨年12月、厚生省から「新エンゼルプラン」が発表されました。日本を担う子供たちの将来を決める大事な政策です。少子化対策、子育て支援、仕事との両立、育児環境整備・・・しかし、子供たちの立場に立って眺めてみると少し違うな、と感じるのは私だけなのでしょうか。日々の診療の中で、親たちの子育てのお手伝いをしている者にとっては「新エンゼルプラン」の偏った方向ばかりが眼に付きます。生後3ヶ月からの早期保育は、本当に心配です。母乳栄養さえ否定してしまった感があります。これは社会から与えられた一つの暴力と言えないでしょうか。病児保育、病後児保育はどうでしょう。病気の時ぐらい、不安な子供の側に居てあげてほしいものです。社会のしわ寄せが母子という弱い所に寄っています。親を求めながらも欲求不満のまま早期から保育所で育てられる子供たち、本当に子供たちのQOL(生活の質)は、何をもって守られたと言えるのでしょう。子育ては、片手間には出来ない事業だと思います。また、人類の未来を考えてもすべきではないのです。すでにその「つけ」が表面化しています。未来を担う子供たちを育てる仕事は、社会のあらゆる事業に優先されるべきであり、その主役は、父であり母であるべきです。その父母を守るのが国の役割です。母親の社会参加を妨げること無く、かつゆったりと母乳を与え、病気の子供の側に付き添ってあげる・・・余裕ある育児、そんな育児社会環境を作ることが必要なのです。イギリスでは、いつでも休めるように母親がペアーになって勤務するシステムが作られたそうです。子育て中の家族を、その身になって守れる制度こそ我が国が必要としている物です。
 M君は、一年ほどして状況も落ち着き退院しましたが、数ヶ月して児童相談所の相談員から電話がありました。学校へ戻ってからまた暴力を振るっているとの事でした。現場の困惑が伝わってきました。私は、相談員の方に「彼と関わった人が、誠意を持って接するより方法は無いでしょう。」と伝えました。
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