子供を育てるということ   

 小児科医として、もうすぐ 20年がたとうとしています。生まれた時診察した赤ちゃんが、成人式を迎える年頃です。重症で命も危ぶまれた幼児、難病で長期に入院生活を送らざるをえなかった子供達などたくさんの出会いがありました。また、そのお父さん、お母さんとの出会いも貴重でした。
 重症の病気を持った子供を育てることは、親にとって本当に大変なことです。主治医として接しながら、子供を育てることの難しさを教えてもらいました。今回は、その思いを伝えたいと思います。

小学校一年生で白血病が見つかったN 君

 長期に出没する熱と関節痛を訴えて、大学病院の小児科を受診した N 君は、子供らしい笑顔も消えて、青白い疲れ切った表情をしていました。一つには入院後の大学病院での検査に不安も大きかったのでしょう。それは、ご両親も同様でした。数日間にわたる検査も終わりました。結果は、恐れていたとうり、多数の白血病の細胞が、N 君の骨髄を蝕んでいたのです。すぐ治療が開始されました。お母さんは毎日付き添って、N 君のつらい治療を援助してくれました。「出来ることなら、この子と変わりたい。」とも言われました。治療が進むに連れて、N 君のわがままも出てきました。それでもご両親は、感情に流され過ぎることもなく、時には厳しく接しました。主治医の私は、内心、「いつ死ぬかもしれないのだから、もっと甘くしてやったらいいのに。」と思いました。治療中に、細菌感染を起こし、一か月間も高熱が続いたこともありました。難病を持った幼い息子を、どんな気持で看病されていたのでしょうか。主治医として長く接するうちに厳しさも優しさも、ただひたすら子供を思う気持に他ならないことが伝わってきました。入院三か月。症状も落ち着き、退院の時がきました。明るい笑顔も戻りました。その後、外来の治療が続けられました。白血病細胞が、睾丸や頭に侵入して、やむなく入院治療を必要とすることもありましたが、元気なときは健康な子供と同じように、学校に、遊びに、一生懸命でした。ご両親も、爆弾を抱えながら、以前と変わらない態度で N 君を見つめていました。小学校五年生の時、お父さんはそれまで治療のために何回も断っていた転勤の話を断り切れず、関東へ移って行きました。そして、その一年後、何回目かの再発の時、白い建物が見えると言いながら息をひきとりました。N 君は、長い人生を凝縮して生きたのでしょう。また、それを援助したご両親も素晴らしいと思いました。

子供を育てながら親になる

 結婚して子供が出来ると、一応、父親とか母親とか呼ばれます。親は親ですが、本当に新米です。子供の可愛さや、たくましさや、純粋さに一喜一憂しながら、親として、また人間として賢くなっていくのだと思います。親が自分自身を見つめる機会を子供が作ってくれるのです。厳しさも優しさも、本物なら子供はわかってくれるでしょう。子育ては、一日一日が、勝負です。
 私も子供との心のキャッチボールを目指したいと思います。手遅れかな。
 

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