金子みすヾの世界
9月も半ばを過ぎてしまいました。季節は過ごしやすいのに、人間の世の中は、数日前ニューヨークで起こった壮絶なテロ事件が話題の中心です。5000人近くの人々が犠牲になったことが分かってきました。地球上では未だに沢山の戦争がありテロがあり、多くの犠牲者を出しています。本当に悲しいことです。そんな時だからこそ、「金子みすヾ」のお話をしたいと思います。
山口県で外来小児科学会
9月8日(土)、9日(日)と山口県の宇部市で第11回の外来小児科学会が開かれました。この学会は、開業医が中心になって出来上がった大変ユニークな学会です。私も入会してからそれ程経っていないので、今年が初めての参加でした。特徴は、ワークショップ(WS)が中心に運営されることです。つまり、沢山の話題の中から、自分が興味あるものを自由に選んで参加し、全員で討論するわけです。ふつうの学会のように発表者、質問者が議論の中心でなく、多くの議論の中から具体的な方法を見出し、結果を何らかの格好で臨床に生かして行く・・・その意気込みは大変なものだと感じました。私は、初めての参加で戸惑いもありましたが、その魅力は十分に味わうことが出来ました。来年も楽しみです。
大漁
朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。「金子みすヾ」の生地 仙崎へ
数年前、どこかでこの詩を読んだとき、大きな衝撃を受けました。大漁ばかりを喜んでいた人間の一人だった私には、この詩はグサッと胸に刺さった感じでした。それ以来、「金子みすヾ」に興味をもち、これ以外の詩も読んでみました。どの詩を読んでも、人間中心の偏った考えに衝撃を与える作品ばかりでした。
自然にこんな言葉がスラスラと出てくるということは、彼女の心の中に、計り知れない優しさが満ちあふれているのではないかとさえ思えました。地球上に存在するすべてのものに優しい視線を注いでいる童謡詩人「金子みすヾ」・・・彼女の古里が山口県長門市仙崎という所でした。山口で学会があるというのを知った時、「あー、仙崎の近くだな。」という潜在意識が芽生えていました。宇部市からは少し遠いことも知っていました。しかし、2日目、申し訳ないと思いながら、この日のWSをキャンセルして朝早くレンタカーに飛び乗りました。ホテルの従業員に鉄道で行くより時間がかからないと聞いたからです。夕方には宇部空港から飛び立たなくてはなりません。仙崎という町
仙崎は、海に三方を囲まれた静かな港町でした。休みのためか人影もまばらです。波も静かです。のんびりと釣り糸を垂れている老人の姿に、あくせくしない余裕を感じました。みすヾの墓にお参りして、「みすヾ通り」を歩きましたが、どの家の軒先にも木札がかかっています。その木札には、その家の人が好きなみすヾの詩が書いてあるのです。押しつけでない何気ない心配りに、町の人の奥ゆかしさが伝わってきました。詩に出てくる郵便局や乾物屋さん。あたかもみすヾの時代にタイムスリップしてしまいそうです。仙崎駅には、隣接して記念館が作られていました。急ぎ足に館内を回り、後ろ髪(まだフサフサです)を引かれながらも、みすヾの優しさを育んだ町と人々に別れを告げました。
優しさ故に
金子みすヾの人生は、多くの愛情を与えてくれた人々に囲まれてはいたものの、父親との早期の死別や結婚生活の破綻など幸せ一杯の人生とはいきませんでした。結局、26歳で自ら命を絶ってしまうのですが、こんな優しい女性にどうしてもっと幸せな人生が用意されていなかったのでしょう。みすヾの一生は、結婚を契機に悪いことが重なり彼女を追いつめていったように思います。優しさ故に、家のための結婚を承諾し、夫に合わせよう、愛そうとしながらも裏切られる日々・・・
相手を思いやる心が優しさならば、時にその優しさが人を傷つけたり裏切ったりすることもあるのです。優しく接していたつもりが、かえって相手を傷つけることもあるのです。そう言いながらも優しさの天才の言葉に、人間の失ってはいけない心を見つけてしまうのは、自分も奥深い、複雑な生の中に生きているからなのでしょうか。
人生、単純で、楽しくて、美味しかったら満足・・・こんな風に生きられたらさぞ簡単でしょうが、詩は作れません。みすヾに与えられた道の厳しさと、生まれた詩に脱帽です。