宮永市町夏祭り

 今日(8月14日)は、全国的に雨模様でした。最高気温も20度前後と涼しかった。お彼岸が済んだら、一気に秋の気配が濃厚になる北陸。もともと短い夏が更に短くなりそうです。今年は稲の生育も今一歩という話を聞きました。涼しい夏は過ごしやすいですが、いつもと違うと生物も景気(クーラーが売れない)も影響を受けるんですね。明日・明後日も雨模様という事です。
  
熱い太陽よ!  もう一度お顔を!!
 さて、今月のマンスリー・ニュースは、8月2日に行われた宮永市町の夏祭りについてご報告します。

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 当院が宮永市町に開業したのは、15年前、平成元年の事です。確かその頃から始まったと思いますから、夏祭りも年季が入ってきました。最近は、祭りの手伝いは何もしないで、時間になったら公民館の前でおしゃべりしながらビールとおつまみに満足して、赤ら顔で帰ってくると言うのが恒例になっています。飲みながら横目で、若い子育て中のお母さん・お父さんが、楽しげに祭りの売店の手伝いやおしゃべりに夢中になっているのを見て、思わずニヤニヤしてしまいます。子ども達は、ジュースやかき氷、焼き鳥、焼きそば、たこ焼きに餃子、さっきもらったビンゴの商品、そして何よりもいつもと違う場所での仲間達との会話にすこぶる満足しているようです。
 何年前からか、故郷が能登にある方から寄付してもらったという大きな「きりこ」(おみこし)が祭りに花を添えるようになりました。もちろん子ども用の「きりこ」も、多分父母の特注品がその横に鎮座しています。去年、私も一生懸命担ぎましたが(もちろん大人用です)、その後肩が痛くて痛くて・・・ということで、今年は無理をせず、若い担ぎ手に任せました。そのかわり得意のデジカメで、全員を撮るつもりで頑張りました。今日という日は二度とありません。子ども達、そして毎日仕事に子育てに精一杯の町内仲間。その貴重な時間の思い出を写真で残すことがとても楽しくて、後から喜んでもらえたらと自分勝手に考えて夢中でシャッターを押し続けました。
 夏祭りの始まりの頃、私もポスターや売店のチケット作りにかり出されました。ワープロを駆使してのチケット作りは、趣味がコンピューターというのを見込まれて頼まれたようですが、医院の周囲は田圃だらけという開業間もない頃のお話です。2年3年と経つうちにこの地区はアパートや一戸建ての家が増えてきました。松任市は、金沢の衛星都市として通勤車で三十分という便利さや、まだ土地価格が安いというメリットから県内各地から移り住む人たちが増えて来ていたからです。同時に土地の人たちも農業から離れて会社勤めや自営業、農地を転換してのアパート経営など生活が急変していました。町内会の会合は、新旧入り交じって噛み合わないこともありました。そんな中で、土地の人たちの受入の努力やそれに応える転居してきた人たちの努力が子ども達、そして大人たちの思いを伝える夏祭りへと発展してきたように思います。夏祭りの牽引役も、年ごとに新しい仲間へ引き継がれていきました。今年も転居したての若いお母さん・お父さんが赤ちゃんを抱っこして物珍しそうに「きりこ」担ぎを眺めていました。新しい土地での子どもを連れての生活がどんなにか不安だったことでしょう。「大丈夫ですよ。安心してください。子ども達もこんなに楽しそうでしょ。」夏祭りは、新しい住人にそんなメッセージを発しながら進行していました。
 子ども達にとっての夏祭り。夜店は出ないけど、買っておいたゲームと食べ物のチケットがその代わりです。ビンゴも胸ドキドキだった。それと大きいおにーちゃん、おねーちゃんは太鼓の特訓があるんだね。大きな「きりこ」の上に乗って、大人たちの力を誘い出すようなリズムで打ち出す能登仕込みの連打。みんな練習の甲斐あってすごく上手でした。松任は太鼓の故郷だから当然かもしれないけど、学校では出来ない体験を町のお父さんから伝えてもらっているんだね。「炎太鼓」のおねえさんのように、太鼓に魅せられた人生もいいかもしれない。
 宮永市町夏祭り。今年も無事終わりました。去年より参加者が多かったようです。お父さん・お母さん、お疲れさまでした。でも、子ども達は、町のみんなに守られているという気持ちを、さらに強くしたことでしょう。でもそれが、未来を担える大人への第一歩です。      

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