あけましておめでとうございます 

 平成十年の幕が切って落とされました。当院の開院が平成一年四月だったので、今年は開業十年目ということになります。言い古された言葉ですが、長いようでアッという間に過ぎてしまった十年でした。色々しんどいこともありましたが、患者さんに教えられながらどうにかやってこれたように思います。有り難うございました。さて今月のマンスリーニュースは、医師としての二十五年間を振り返ってみたいと思います。

  医師という仕事へ

私が医師になったきっかけは、たまたま浪人中に入院したことでした。親類縁者に医療関係の人は一人もいないので、そんな気持ちになることは一度もなかったのです。しかし、入院そして手術という不安の中で、その病院の婦長さんが示してくれた思いやりや優しさが、「こんな道もあるんだなー」という気持ちをを起こさせてくれました。入院といってもほんの一週間でしたから、受験の疲れを癒すちょうどいい期間でした。

 一年後、運良く医学部入学。6年間の学生生活を終え、小児科の医局に入りました。大学病院で、先輩医師とペアーを組みながらの実地訓練を経験し、5ヶ月後には福井の病院へ出張になりました。

  半人前の医師として

 総括の医長先生がおられるのですが、患者さんにとって、私が責任ある主治医です。しかし、第一線の病院ですから、忙しさも大学病院の比ではありません。結局は自分で決断し、自分で治療するという実戦です。診断に苦労する患者さんは、先輩や医長に相談しながら悪戦苦闘ということもあります。懸命に勉強しながらも、病気の診断の難しさを身をもって体験しました。病気は人によって症状の出方が違います。教科書にはいろいろ書いてありますが、教科書は教科書です。同じ病気でも人によって、症状として何が全面に出てくるかは違うのです。また、思ってもいない(つまり知識がない)ことが起こることもあります。

 福井の病院でのことですが、4才位の男の子が、「よく吐く」と言って外来を受診しました。順番で私が主治医になりました。一応入院してもらい、翌日、胃の透視をすることになりました。まさか、4才で特別な病気があるとは思えません。しかし、あの白いバリウム液を胃に流し込んでみると、十二指腸に幕のような物があり、それが食べ物の通過をさまたげていたのでした。ネルソンという小児科の分厚い教科書を探してみると、短い文章ですが、確かにそういう病気があることが載っています。一件落着です。後は手術でその幕を取り去ればすべて終わりです。頑固な嘔吐ともおさらばです。その夜は、枕を高くして寝るつもりでした。しかし、翌日の午前4時頃、けたたましく枕元の電話のベルが鳴り響きました。何と、昼に透視した子供の心臓が止まったというのです。官舎が近かったので、数分で病棟にたどり着きました。ちょうど当直が小児科の先輩医で、心臓マッサージをして、息を吹き返したところでした。彼は一命を取り留め後遺症無く無事退院までこじつけたのですが、心臓の止まった原因は、バリウムでした。通過が悪い胃に入ったバリウムは時間がたつにつれて、重金属のバリウムに変化し、吸収されて重金属中毒を起こしたのでした。これも、調べてみると起こりうる事として記載されていました。

  医師は患者さんに育てられる

 医師は、卒業して国家試験に合格し、医師免許を与えられますが、まだ半人前です。患者さんを前にしながら本を読み文献を読み、頭に刻み込みながら多くの病気に対する知識を吸収していきます。悩んだ病気はいつまでも実戦の武器として威力を発揮します。もう少し勉強していたら助けられたかもしれないという患者さんがどの医師でも必ずいると思います。私も数人の忘れられない患者さんがいます。多くの医師は、そんな思いの中、新たな患者さんに今までの経験を生かしながら一生懸命接しているのです。

  医師としての四半世紀

 二十五年間、子供の患者さんとその家族に接してきました。感謝されたり、時にはヤブと思われた事もあったでしょう。開業して十年、昔診ていた患者さんが結婚し、子供さんを連れて来院されます。二十五年もたったのですから当然ですが、手放しで(自分が年取ったのも忘れて)喜んでしまいます。私が浪人中、入院した病院の婦長さんからもらった思いやりや優しさを、少しでも返せたらと思います。それが、本当の医療なのだと思います。

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