自分のカルテが見たい

 西暦2000年も「正月だ、正月だ。」と浮かれている(私だけか)うちに、はや半月あまりが過ぎてしまいました。Y2K問題も大事無く乗り越えたようです
 雪のないお正月にも最近では慣れてしまいましたが、たまには北陸らしさを見せてほしい気がします。あっ、でも大雪は困ります。適当に、スキー場だけ降ってもらえば十分ですが。
 さて、新年のマンスリーニュースは、1月から始まった、「診療情報提供に関する指針」についてお話ししたいと思います。

   自分のカルテが見たい

 自分が病気で入院している時、特に重症でいろいろな検査や治療が行われている時、誰もが自分の病状を知りたくなるのではないでしょうか。これまでの医療は長い間、医療を与える側が主導権を握るのが普通でした。でも、よく考えてみると変です。病気は自分なのに、どんな状態なのか分からない。患者さんにしてみれば、「自分の病気がどうなっているのか知りたい。」というごく自然な感情です。「自分のカルテが見たい。」・・・まずは患者さんが、自分がどんな病状に置かれ、どんな治療をされているかを知りたいと思うこと、また医療側にしても、患者さんの不安な気持ちを十分理解し、納得行くまで説明したいという医療の心から始まります。

   インフォームド・コンセント

 最近よく聞かれるインフォームド・コンセントは、医療における理想的な医師と患者の関係を表しています。インフォームド・コンセントを南山堂の医学大事典で引いてみました。「医師と患者の関係を規定した概念で、医療において患者が十分に説明を受けたあとでの患者の承認をいう。具体的には医師から十分に説明を受け、患者が納得できる医療内容を医師と患者がともに形成していこうというプロセスをいう。
 もともとは医療を行う場合の医師側から守るべき法律的事項として生じたものであったが、医師と患者間の倫理的事項と考えられるようになった。これによって、医療を道義的に円滑に行うことができるわけである。インフォームド・コンセントの概念が浸透しているといわれるアメリカでは、新たにインフォームド・チョイス(説明を受けたあとの治療法の選択)という考えかたが言われるようになってきている。」

  「診療情報提供に関する指針」

 日本におけるインフォームド・コンセントの動きも、十年ほど前から次第に高まってきました。医療側主導の体制が批判を受け、厚生省は1998年に、カルテの開示を法律で決めようとしました。しかし、日本医師会は自主的にインフォームド・コンセントを勧めることを決断し、今年1月から診療情報を如何にして患者に提供するかを示しました。文章を読んでみると、何か法律書を読んでいるように感じました。文章にするとそうなってしまうのかもしれませんが、これを機会に医療側の診療に対する方向性を示されたと理解するべきでしょう。

  診療情報提供が目指すもの

 つい最近のお話ですが、当院に通っている患者さんのお母さんが、以前入院した総合病院で子供の点滴が間違って入れられるとこだったと興奮気味に話されました。その時は寸前で間違いが分かり、無事だったそうです。患者の取り違えや点滴ミス・・・明らかなうっかりミスもあり、気を付けていても起こるミスもあります。人間にとって、ミスは避け得ないものなのでしょう。アメリカでは、ミスは起こるものとして、対応が出来ているという話を聞きます。日本では、ミスが起こるとシステムよりも、その人だけのせいにされがちです。インフォームド・コンセントが出来ていれば、患者さんも自分の飲むべき薬や点滴を知っているのですから、医療をする人とされる人が一緒にチェックする事になります。診療情報を提供するということは、ミスを減らすだけではありません。病状や治療法について医者の話を十分に聞き納得すれば、両者が理解し合いながら治療を進めることが出来るでしょう。ここで気を付けなければならないことは、ただ情報をすべて伝えれば良いというのではありません。医療に携わる人間は、病気を持つ人間の心の動揺やもろさを感じながら治療することが、真の情報提供の目標なのだと思います。

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