「子育ては、本当にむずかしい。」
千代野小学校広報誌へ(平成6年1月31日)
小児科医が言うのですから、間違いはありません。男三人を育てながら(「育てだのは私よ。」と、家内から抗議が出るかもしれませんが)、いや、育てることに時折参加しながら最近富みに感じている実感です。昔、育てたことがあれば、もっと上手に育てられるのに、と思っても後の祭りです。
親にとって子育ては、生まれて初めての体験です。先輩から聞いていても、子供はバラエティーに富んでいます。教科書通りにはいきません。試行錯誤を繰り返しながら、本当の父親、母親になっていくのでしょう。

さて最近特に、子供のこころの病気が問題になっています。私が以前勤務していた慢性疾患の病院でも端息や腎炎にかわって、こころの病気を持った子供達の入院が多くなっています。
学校へ行くエネルギーを失ってしまった子供、話すことや食べることをやめてしまった子供、自分の髪をバッサリと切って自分の殻に閉じこもってしまった女の子、相手を殴ることしかしない男の子。私の勤務中いろいろな子供達に出会いました。
みんな普通の学校では受け入れてもらえず、いやいや病院へ入ってきた子供達です。子供達は何故学校に行けないのでしょうか。私の印象や親からの話で、子供達がいかに感受性が強く周りのことに気を使いすぎているかを知りました。また、これまで人生を生きてきた短い体験の中で楽しい思い出があまりないことも知りました。気を使いすぎていたのですから当然かもしれません。
子供達は、生きることに疲れていたのです。病院が子供達にしてあげられることは、疲れを癒してあげること、そして「生きることは楽しいことなんだよ、人間ってそんなに捨てたもんじゃない信頼できるものなんだよ、でもたまにはいやなこともあるよ」と病院の生活の中で感じてもらうことでした。それが家庭で少しずつ出来れば最高です。
しかし、親も子供が時折出していた小さなサインに気付く余裕がなかったのです。大きなサインが突然出たためにビックリしたのです。貯まって出たサインは、解消するのに少し長めに時間がかかるかもしれません。しかし、危ういながらも子供達は、疲れを癒し自信を少しずつ取り戻し病院を巣立って行きました。
十年前に初めて出会った学校へ行けなかった中学生は、現在立派に社会人として活躍しています。子供達は、最後には親を乗り越えて自分にあった生き方を見つけて行くのだと思います。

子供は親のコピーではありません。ましてや親の所有物でもありません。いくら身体は小さくても一個の人格です。社会がどう変化しようと、子供を追いつめるのも、最後まで守れるのも親だけです。人生の荒波を乗り越えていく力は、親の勝手なきびしさや甘やかしから生まれるものではないでしょう。日々の生活の中で子供に対する信頼ややさしさ(自分の存在を認めてくれる)そして時には誤りを指摘する厳しい言葉の積み重ねがその力を培って行くのだと思います。
さて、あなたの家庭では大人達の子育ての方針は一致しているでしょうか。我が家では夫婦の方針がなかなか一致せず困っています。どなたか一致する方法を教えていただければ幸いです。でも、それで均衡がとれていいのかなとも思っています。

子育てって本当に難しいですね。
小児科いろいろ知識集