ある電子メール相談から
朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。風邪も適当に流行っています。乳幼児のお母さんは、「治ったと思ったらまたひいた。」の連続で少し疲れ気味です。最近は早くから保育所へ預けられることが多いので、風邪が治ってもまたすぐ貰ってしまいます。「風邪をひきながら強くなるんだよ。」とお話しますが、初めての子育てに一生懸命なお母さんには慰めにはなっていないようです。
さて、今月のマンスリーニュースは、最近受けた電子メール相談からお伝えします。親しい人の死
いつもお世話になっています。ずっと前に、「肺ガンで、せき込んでいるんですが、吸入器を貸してもらえないか」という、変な相談をしてしまいましたが・・・
あの後、6月8日に、母は、死んでしまいました。もう、末期癌でしたので、吸入器がかりに効いたとしても、その場しのぎなのだとわかっていたのですが苦しんでいる母をすこしでも楽にしてあげたい・・・と思って、訳の分からない相談を、小児科の武藤先生にしてしまいました。癌とわかったときにはもう末期で、宣告どうり、3カ月とちょっとで逝ってしまいました。宣告される直前まで、ダンスをしたり、孫のN子やM子をみてくれたり、車でどこでも出歩いていた人なので、信じられません。母がいろんな面で、わたしの支えだったので突然の早すぎる死に、今もまだ心がついていけません。私も、もう母なのに情けないです・・・・。
前に、待合い室のノートに、友達が、癌で、リンパに転移して・・・
というのを書きましたが、その友達も、母の5日後に死んでしまいました。友達の事、幼なじみだったので、死んだ母にも相談にのってもらっていました。母が、癌だとわかってからは、その友達に母のこと、相談にのってもらいました・・・。一度に二人とも失うなんて・・・。母が死んだ日、その友達は病室から携帯電話で電話をかけてきてくれて、なぐさめてくれました。まさかその5日後に死んでしまうなんて思ってもいませんでした。
すみません。はじめてのお便りで、また、こんな個人的なことを書いてしまって・・・・。表面的には、もう、何もなかったかのように生活しているのですが、本当は、いまもまだつらくて・・・でも、いつまでもそんなことだれにでも言えなくて(こういうことを、聞いてもらっていたのは、死んだ友達と母なんですから)、だれかに、はなしたかったのかもしれません。それが、武藤先生だったのです・・・。どうしてでしょう・・・・とんだ白羽の矢があたってしまって・・・・申し訳ないです。
子のぜんそく、毎日ひやひやもんですが、体力もついてきたのか、今の所、落ちついています。また、季節的にも、お世話になるかと思いますが、よろしくお願いします。インフルエンザの予防接種、もうしといたほうがいいのでしょうか。
それでは、長々とおつきあいいただきました。お忙しいのにすみませんでした。
いえいえ、私のような者にお話し頂いて、ありがたく思っています。私からの返信
N子ちゃんのお母さんへ
肉親や友人の死に出会われて本当に寂しいでしょうね。特にお母さんにしても、友人にしても年がお若いですからひとしおだと思います。
人間一度は死ぬものだと分かってはいても割り切れないのが常だと思います。
私も平成2年に母を失いました。それも突然だったので、いつかはと思っていたのですが、ショックでした。
人並みですが当家にもいろいろな軋轢(あつれき)があり、もっと母に親孝行をしておけば良かったという後悔の気持ちがあったのです。その通夜の晩、止めどなく涙が流れてきました。私は当時44才という不惑の年でしたが、あふれる涙とオイオイというあたりかまわぬ嗚咽を止めることは出来ませんでした。ほとばしるまま、おもいきり自分の気持ちをぶちまけてしまいました。
人間、偉いこと言っていても所詮は弱い存在です。悲しいときには泣けばいいですよね。寂しいときには寂しい寂しいと言ってください。後は時のたつのを待つより仕方ありません。
私も今になってその時の涙を思い出します。何であんなに泣けたんだろうと。でもあの涙は母への供養と自分が許しを請うために必要な涙であったと思っています。
母は私を無償の愛で包んでくれました。そのエネルギーが、家族への愛、患者さんへの愛の基になっているといつも感じています。
亡くなった人たちのメッセージを後に伝えていくのが生きている者の使命かもしれません。
N子ちゃんのお母さんも、母親や友人からいただいた思いやりや優しさを周りの人たちに伝えてください。きっと喜んでくれるでしょう。亡くなった人たちとそこで切れてしまった訳ではありません。お母さんの思いの中に生きているのですから。お母さんからの返信
メールのお返事ありがとうございました。何度も読み返しては、泣いています。
ほんとに、母親って、それだけで、偉大ですよね。N子や、M子を、抱きしめたり、話しかけたりしている時、ふと、「これって昔の、私とお母さんと、同じだ」と、思うことがよくあります。私の子どもとの接し方は、死んだ母がモデルになっているんですね。わたしの思いの中にも私の子育てや生き方の中にも、母は生きているんですね。
こんな私もN子やM子にとっては、偉大な(?)母親・・・がんばります。
マそうだんです・・・サブー