54才 走水に集合

 昨年同様、麻疹(はしか)が忍び寄る今日この頃ですが、体調はいかがでしょうか。お子さんの麻疹ワクチン接種は、確かですか?「あれー、どうだったかな。」と思う方は、母子手帳をもう一度見てあげてください。思い違いも多いです。・・・空欄だったら即接種!
 天候は相変わらずハッキリしませんが、近くの田圃は田植えも終わりました。田植えが終わると、関係者でもないのに何かホットします。「あー、今年も無事だな。」という安堵感は、やっぱり私も農耕民族を祖先に持つ人間だからでしょうか。
 さて今月のマンスリーニュースは、病気を離れ、変なタイトルのお話でお茶を濁したいと思います。どうぞ、お付き合い下さい。

   上越新幹線経由で

 私は、昭和41年神奈川県立横須賀高校を卒業しました。高校を出てそれぞれの道を歩み出した同級生が35年ぶりに再会する同窓会。それまで何回か機会はあったのですが、都合が悪く出席出来ませんでした。今回は、4月末の連休の初日ということで参加することにしました。28日早朝、金沢から北陸線、上越新幹線を経由して東京へ。東京から横須賀線に乗り換え、JR横須賀駅に着いたのは午後4時近くでした。 
 「おや!ちょっと時間が合わないなー。」と思われた方は大変鋭い観察力の持ち主です。そうです。白状します。東京で寄り道をしたのです。私の好きな電気街「秋葉原」で2時間ほどブラブラしました。最近の秋葉原は、以前のように安く売る電気街としての魅力は無くなりました。物によっては松任の百万ボルトの方が安いこともあります。しかし、学生時代から北陸への行き帰りで立ち寄る習慣をつけてしまったメカ好きの人間には、町の雰囲気が持つ不思議な魅力と、自分の心の思い出を呼び覚ますなつかしさゆえか、自然に足が向いてしまうというのが正直なところです。 
 横須賀駅前には、午後4時に会場へ向かうバスが迎えに来ている手はずです。

  35年ぶりの再会

 駅を降りて左へ向かうと横須賀港です。天気は良く、潮の香りを含んだ風が心地よく肌に染みます。横須賀にいるという気持ちが否応なく沸いてきます。故郷の空気は、心を和ませてくれるから不思議です。間近に見える戦艦や潜水艦でさえ戦争の道具とは思えません。私にとっては故郷を感じさせる小道具の一つです。
 向こうから懐かしい顔が近寄ってきました。名前が出てこない。顔は覚えている。「あ、分かった。○○君だ。」相手も分かったようだ。「よー、懐かしいなー。」
 そのうち何人かが集まってきました。・・・35年という歳月は長いようで短いようで。ついこの間まで見ていた顔がシワと脂肪と白髪とまばらさで、修飾されながらも表情は自分を主張しているということか。自分もそうなんだなと納得しながらも、何か寂しい気もする。歳月は懐かしさと老いるという残酷さも生み出すのか。老いることが残酷?いや、老いたからこそ懐かしさという甘酸っぱい心地よさを与えられるのかもしれないのに。・・・その時、こんな事を考えながら再会していたわけではありません。この文を書きながら考えてしまったのです。54才は心と身体の曲がり角でしょうか。
 10人ほどの同乗者を乗せたマイクロバスは、横須賀の繁華街を抜け、一路三浦半島先端へと向かいました。バスの中は昔の共通な思い出話で一杯です。会場は、走水(はしりみず)にある割烹旅館「東京湾」。約30分で到着です。走水は、子どもの頃よく行った海遊びの場所です。

  「東京湾」にて

 東京湾に面してない和室の会場で、同窓会が始まりました。3年間お世話になった担任の男先生は、お会いしたかったのですが、体調がすぐれないとのことで欠席されました。クラス全員で50名程だったと思いますが、集まれたのは20人でした。幹事が一生懸命調べて作ってくれた名簿を見ながら、中には住所が分からない、勤め先が分からないという人もいます。それぞれどこかで元気にしていてくれれば良いのですが。一人だけ亡くなった人がいました。会は幹事の挨拶から乾杯、そして歓談。少しアルコールが回ったところで自己紹介が始まりました。 高校を出てからは親しい友人以外途絶えてしまった消息を、それぞれの言葉で伝えてくれました。一つの会社で頑張り続けた人。デューダで明け暮れた人。貧しく学問に突き進む人。女子大の教授を楽しむ人。たくさんの人生が披露されました。出席しなかった人で大手企業の取締役まで登り詰めた人もいました。まさに人生いろいろです。
 原子力関係の堅い仕事を途中で辞めて、陶芸の道に進んだ人もいました。彼の話はみんなの注目を集めましたが、東京を離れ、伊豆半島の田舎で陶芸に打ち込む姿は、サラリーマンの夢かもしれません。私もそれを考えているという賛同者が何人かいました。実を言うと院長も焼き物はやってみたいのです。家内に言うと「何か他の趣味を止めてからね。」と軽くいなされます。私たちは、丁度戦後のベビーブームの世代に当たります。大学から企業へと戦い続けた世代です。54才になったみんなの顔は、やはり少し疲れ気味です。一人、亡くなられた彼に親しかった人が、その状況を説明してくれました。様子を聞くうちに企業戦士の討ち死にであることが伝わってきました。集まれた二十人は皆元気そうですが、集まれなかった人も含めて、討ち死にがこれ以上出ないよう祈るばかりです。
 同窓会は懐かしく、楽しい。しかし、社会の厳しさを友人を通して身近に感じる機会になることもあります。会場を離れ、再び現実の中に戻っていく友人の後ろ姿を見ながら、2年後に無事会う事が出来るよう心に誓いました。
  2年後 56才、「東京湾」で!

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