テロはどうしておこるの?

 今年も残すところあとわずかです。昨日(12月14日)、アメリカ政府が潜伏中だったイラクのフセイン元大統領が捕まった事を発表しました。今日の夕刊はその顔写真であふれていました。何と生まれ故郷近くの農場の穴蔵に一人で隠れていたとは。テレビではイラク市民がとても喜んでいる様子を伝えています。フセイン時代は、その政治に反対する人をたくさん殺してしまったようですから当然かもしれません。独裁者としての末路はどの国でも一緒です。これでテロは、無くなるのでしょうか。新聞では、テロが激しくなる可能性も伝えています。自分と考えが違う人を、自分も含めて爆弾でふっ飛ばしてしまうという、人とのコミュニケーションとしては最悪の行為を許すことは出来ません。しかし、そこまでしないと収まらないという心の状態はどうして生まれてきたのか、ひとつのメッセージとして受け取る必要性も感じます。テロへの報復は、更にテロを生むという事も言われます。テロを力で押さえ込むことが正しい対応の仕方なのかは疑問です。
 今年最後のマンスリーニュースは、「テロはどうしておこるの?」か、私なりに考えてみたいと思います。

  テロはどうしておこる

 テロはテロでも自爆テロは、自分の命もかえりみずに爆弾を背負って目的を達する壮絶なものです。昔、日本が第2次世界大戦の終わり頃にやった、最後の手段としての自爆作戦・・・「特攻隊」や「人間魚雷」「爆弾三勇士」を思い出します。ご存じないかも知れませんからご説明します。「特攻隊」は、戦闘機に乗ってその飛行機のまま戦艦に体当たりする作戦です。「人間魚雷」は、小型の潜水艦に人間が1人乗り込んで運転しながら、やはり大きな戦艦に体当たりして船のお腹に穴をあけて沈めてしまおうという作戦です。「爆弾三勇士」は、3人の兵隊が爆弾を担いで敵陣地へ飛び込むという、まさに自爆テロの代名詞のような行為が、戦時中は大いにたたえられる行為として有名になった話です。
 人間の命の代わりに戦果を得ようとする作戦は、イランの自爆テロも、日本でかつて行われた作戦も、同じ気持ちから起こっているのでしょう。
 では、どうしてそんな作戦をとらなければならないのでしょうか。
 
「窮鼠、猫を噛む」(追いつめられたネズミは、ネコにもかみつく:追いつめられると、どんなに弱い者でも死にものぐるいになって戦うから、とうていかなわないと思われるような強い相手でも倒すことがあるということ)ということわざがあります。まさにこれが、自爆テロの状態ではないでしょうか。強い相手と戦うための自爆テロ。自分の命もいらないという強いメッセージを伝えながらの自爆テロ。しかし、その為に関係のない多くの人たちも犠牲になっています。自爆テロによる緊張状態の高まりが更に、強い圧迫を生み、更に自爆テロを生むという悪循環におちいっているように思います。どうすればこの悪循環を断ち切ることが出来るのでしょうか。どうしたらこの泥沼から抜け出すことが出来るのでしょうか。

  テロの悪循環を絶つ

 テロの悪循環を絶つためにはどんな方法が有るでしょう。テロリストは、テロだけが解決の手段と考えているのでしょうか。強い国もテロを力で抑えることだけが、解決の手段と考えているのでしょうか。もしそうならば行き着くところまで行くよりしょうがありません。そこまで人間がバカならばそれも仕方ないでしょう。しかし、もう少し人間を信じたいと思います。その為には、追いつめてしまった強い立場の人たちがちょっと冷静になって考えてもらうことです。余裕がある人たちだけが立ち止まることが出来ます。そして理解し合う機会を作ること。人間が理解し合うための唯一の手段。それはお互いの立場を理解しながら話し合うことです。その為に最大の努力を払うことです。これまで長年の恨みの堆積がテロを生むエネルギーになっているのでしょうから、一朝一夕に解決できるとは思えませんがその努力が本物であるならば、追いつめられ、これしかないと考えていた人間も立ち止まってくれるかも知れません。そうです。かもしれませんです。
 人間の歴史は戦いの歴史です。村と村の戦い。町と町の戦い。国内が分裂しての戦い。そして戦国時代・・・さらに民族の戦いから世界の戦いへ。多くの戦いの歴史が恨みを生み、静まりそしてまた再燃した歴史。
 過去は仕方ありません。でも戦いは短いほど恨みも少ないはずです。父母を殺された子ども達の恨みの思い出も少なくてすむでしょう。少なければ子ども達が大人になったとき、次の戦いを生む力も少ないでしょう。人間も戦争がいかに無益なものかを理解する余裕が出来、少しずつ賢くなっていくでしょう。いつかは、同じ地球に生まれた人間が、民族などという髪の毛や肌の色や文化や言葉の違いが戦争を生む理由になるなんてと思えるときが来るでしょう。民族の違いによるお互いの考え方の違いを理解し、大事に出来る時が来るでしょう。そして、いつか地球上からまったく戦いが無くなる時が来るでしょう。そう信じたいと思います。

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