子どもと遊び

 平成17年も4月下旬に入りました。インフルエンザの大きな山は越えましたが、未だに検査陽性の患者さんが見られます。
 さて、日々の仕事に追われ、マンスリー・ニュースをお届けするのが遅れてしまいました。「どんな話題にしようかなー」と考えながら手元にある雑誌を眺めていたら、「チャイルド・ヘルス」2005年1月号に「子どもの『遊び』を考える」という記事がありました。小児科医の内海裕美先生とNHK放送文化専門委員の清川輝基氏の対談で始まる特集は、盛り沢山です。先月号が「子どもとメディア」だったので、今月は関連のある『遊び』で行きましょう。

   私の遊び歴

 私が生まれたのは、1947年、第2次世界大戦が終わって2年後のことです。場所は神奈川県横須賀市で、横浜から京浜急行の特急電車で25分ほどの三浦半島入り口にあります。この年はベビーブームの頂点に当たります。生まれた時は、そんな事は分かりませんでしたが、小学校の一クラスが50人以上で教室の後ろまで一杯だったことは覚えています。中学は一学年が15クラスあってやはり一クラスに55人前後でした。中学校舎は、兵舎(兵隊さん用の宿舎)を学校に造り替えた建物で木造の床や壁はつぎはぎだらけでした。やんちゃな中学生ですから壁板をはがすのは朝飯前です。時には壁の穴から隣のクラスが見渡せました。そんな訳で、食べ物もおもちゃもない時代の「遊び」でした。
 子ども時代の記憶に残る遊びを思いつくままに書いてみます。夏は昆虫採集を日課にしていました。一番は、セミ採りです。朝起きると家の回りの主だった木々を見て回ります。音を立てると逃げられるので、抜き足差し足忍び足です。時には高い木に登る必要も出てきます。背中から転落して、息が出来ず「もー、だめか」と思ったこともあります。それでも網に入ったときのうれしさは、格別です。「ニーニーゼミ」は、最低ランク。「ツクツクボウシ」「ヒグラシ」は中ぐらい。「ミンミンゼミ」と「アブラゼミ」は、上級クラスでした。本当にまれですが最上級クラスの「クマゼミ」の鳴き声がすると興奮しました。たいてい木か電信柱の最上部にとまって気持ちよく「シャーン、シャーン、シャーン」と鳴いていました。大変敏感で少しでも音がすると逃げてしまいます。結局「クマゼミ」は一度も捕まえることなく子ども時代を終わってしまいましたが、あの時のワクワク感は今でも忘れられません。他の昆虫では、カナブンやカミキリ、クワガタも捕まえました。昆虫たちはマイ・昆虫かごの中でその寿命を全うしました。何故か「可愛そうだから逃がしてやろう」何て言う気持ちは無かったように思います。「捕まえたら俺の物だ」という考えです。子ども時代は「残酷だったなー」と反省しています。でもそれが昆虫で良かったです。これも生き物についての生と死の貴重な体験だったように思います。

  遊びの中で

 横須賀は山と海の町です。私の家は山の中腹にありました。更に山に登ると畑があります。畑の間に狭いながらも広場がありました。そこは荒れ地で畑も出来ないような場所でしたが、子ども達にとってはボール遊びが出来る唯一のスペースでした。ガキ大将から声がかかると山の子ども達はグローブを持って集合です。ソフトボールが主でしたが、狭いので三塁はありません。人数も7-8人を二つに分けて試合するのですから、一、二塁で十分です。自分たちで変則ルールを決めて楽しみました。ソフトが飽きたら、鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴りや陣取り遊びといろいろメニューがありました。ルールも人数に応じて変更です。集団で遊ぶことで、知らない間にコミュニケーションの勉強をしていたのでしょう。さらに広場から林の中に遊び場を移して、隠れ家作りに没頭しました。木の枝やカヤの葉を組み合わせて壁にして、家のようなスペースを作るのです。遊びだと自分から協力するから不思議です。出来上がったらみんなお部屋で一休み。風や雨で直ぐつぶれてしまうようなスペースですが、「隠れ家」という気持ちが子ども達の心を奮わせました。
 ベーゴマ、メンコ、ビー玉は、勝負の遊びです。負ければ取られてしまいます。ベーゴマをヤスリで削って強くしたり、メンコにロウを塗って強くしたりする裏技も遊びの中での工夫でした。遊びが「工夫する」訓練をしてくれていたのです。更に、勝ったり負けたりすることで、人と人との関係を学ぶ機会にもなっていたでしょう。
 中学生頃の夏の楽しみとして海遊びがありました。海遊びと言っても、ただ浜で泳ぐだけのではありません。浜での水遊びや砂遊びは既に卒業しています。横須賀沖にある猿島という周囲4-5キロの島の岩場で海に潜りながら狩猟を楽しむものです。モリという先端に針の付いた棒を持参して(もちろん海中メガネやシュノーケルも)船に乗り込み、20分ほどで島の船着き場に到着です。勇んで島の裏側にある岩場に急ぎます。食べ物はおにぎりだけです。獲物はワタリガニや岩に付いた貝、たまにはベラやアイナメなどが餌食になりました。それを焼いたりゆでたりしながら、おにぎりのおかずにして昼飯です。遊びに夢中で最終の船に間一髪ということもありました。でも縄文人に戻ったような狩猟生活は最高の遊びだったように思います。
 子ども達にとって「遊び」とは何でしょうか。「遊び」は、楽しい自主的な行動です。その中で、生きることの楽しさや他人とのコミュニケーションを学んでいるのです。私の遊び体験からも間違いありません。人生の始まりで「水遊び」や「砂遊び」を省略しないでください。子どもは、どろんこ遊びが大好きです。更にそれに水が加わると最高です。洋服は泥水で見るも耐えない状況ですが、子どもは遊びに夢中です。「あー、楽しかった」これで良いんですね。時には、場所取りや友達の作品破壊で喧嘩が起こるかもしれません。それも大事な体験です。私もチャンバラ遊びをしていて、相手の頭を思い切りたたいてしまいました。その瞬間、血が飛び出したのにはビックリしましました。大事には至りませんでしたが、たたき具合の勉強になりました。チャンバラの木刀は髄の木で作りましたが、ナイフでよく指を切りました。失敗しながら学ぶ事が多かったです。今は、危険なことはさせない時代です。命に関わることは避けて当然ですが、生活の中に潜む危険性を遊びの中で少しずつ体験することは、自分や他人を守るのに役立つでしょう。
 先ずは親が遊び相手です。親と遊べて、初めて友達とも遊べるようになります。子どもの成長に合わせて、我が子でありながら一人の個性ある人間と信頼関係を育てていくつもりで子育てを楽しめたら良いですね。

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