「夏の日の思い出」

 9月も半ばを過ぎたというのに昼間は暑いですね。さすがに夜間は涼しくなりますが、まだ寝苦しい夜もある今日この頃です。評判の良い愛知万博も、今月25日で終了ということで、駆け込み参加に拍車がかかっています。それに便乗して、20日に家内が家族全員の期待を担って「万博日帰りツアー」に参加します。知り合い3人とのバスツアーですが、ちょっと心配です。噂では、入り口での手荷物検査30分、女性トイレ待ち30分、ペットボトル購入待ち30分と待ち時間が半端じゃありません。ツアーの場合、会場にいられる時間が5時間とのことですから、見る物を選ばないと待ち時間だけで終わってしまいます。イベントが沢山あるようですから、短時間に楽しめる物を見つけて、その雰囲気を楽しんできてください。お土産は、お話だけで充分です。
 さて、今月のマンスリーニュースは「夏の日の思い出」です。

  猿島にて

 人生も年を重ねてくると「夏の日の思い出」が、次第に鮮明になって来るから不思議です。最近の記憶が消えかかっているから昔の記憶が残ってくるのでしょうか。まだ、アルツハイマーは発病していないと思うのですが、「あれ、あれ」とか「あの人、あの人」という言葉が多くなっていることは確かです。
 私は、19才まで、神奈川県の横須賀市に住んでいたので、やはり海と関連した思い出が多いです。家族や友人とよく行った馬堀海岸では、ごった返す波間を、浮き輪につかまりながらプカプカと暑い太陽に照らされながら浮かぶのが好きでした。昔は(約50年前)プールよりも海が主流でしたが、波に揺られる気持ちよさは格別でした。海へ行った夜は、布団に入ってからも、身体が揺れているのです。頭の中はまだ揺れから解放されていなかったのでしょう。その内に眠りについてしまいます。夢の中で、再び馬堀海岸の様子が出てきたときは、要注意です。「あー、冷たい」と思った時には既に手遅れです。少しパンツがぬれていました。海へ行ったときは「おねしょ」に注意でした。
 3、4年生頃からでしょうか。ガキ大将を先頭に子ども達5〜6人で、「猿島」という横須賀から船で20分ほどで行ける小さな島で海を楽しむようになりました。戦時中は大砲も備えられた軍事基地だったのですが、戦後はレストハウスや海水浴場も作られリゾートアイランドになっていました。
 島に着くと、海水浴場には行かないで、足早にいつもの秘密基地へ急ぎました。行く場所は決まっています。島をひとまたぎして裏側に出るのです。島を回遊する路からそれて崖を下り、付近に洞窟もある広めの崖っぷちに陣取りました。さて、おもむろに海水メガネやシュノーケル、脚ひれを取りだして獲物を捕まえる準備です。更に釣り竿や手作りのモリも持って来ています。皆、待ちきれずいっせいに海に飛び込みました。共同作業で魚やカニを追いかけ回します。魚やカニの素早さは、さすが海にいる生き物です。運良く大きなカニに出くわしたときの興奮は、格別です。ゆっくり近づき、甲羅めがけてゴムの反動で飛んでいくモリを放ちます。命中!でも、海から上げてみると以外に小さいんです。そうです。海の中では大きく見えるんです。でも満足です。釣りやモリで魚を捕まえる人もいます。昼頃、ミカンの缶詰を空けて、そのカンに海水を入れ、おこした火にかけます。カニがゆであがり、魚も焼けました。それらをおかずにして、お袋さんが作ってくれた梅干し入りの大きめなおにぎりにかぶりつきました。お袋さんは、まさか子ども達がそんな危険な場所で遊んでいるとは夢にも考えていなかったでしょう。でも時には溺れたり、岩場でケガをしたり、モリで指を突いたりしながら無理なく危険の勉強をしていたのです。
 さて、午後は島の見物に出かけましょう。展望台も有りますが、戦時中の建物がまだ残っているのです。煉瓦で作られたトンネル道に、入り口がいくつもあります。薄暗い中を覗くには相当の勇気が要ります。きもだめしです。「わー」と叫び声を上げるとトンネル全体に響いて更に怖くなりました。今はどんな状態になっているでしょうか。

  秋谷海岸にて

 三浦半島の西側に秋谷海岸という急に深くなる海水浴場が有りました。親戚が集まると、よくその海岸に行って遊びました。時には横浜の親戚も合流しての海水浴です。急に深くなる海岸なので浮き輪は欠かせません。私が小学校頃のことですからずいぶん昔の話しです。
 私の住んでいた横須賀は横浜に比べたら田舎ですから、おばさんと一緒にやってくる横浜の従姉妹は何だか都会的で、見るのもまぶしい女の子達でした。年令もだいたい一緒なのでよけいまぶしいのです。数年前まではただの鼻垂れっ子だったのに、年毎に美しくなっていく都会の従姉妹達に、異性に興味を抱き始めた私の心臓はドキドキと高鳴っていました。スイカ割りやビーチボールで遊びながらも、まともに話すことなく時間が過ぎていきます。ギラギラと輝いていた真夏の太陽も、沸き立っていた入道雲もいつしか地平線の彼方に消え去ろうとしています。こうして、異性への気持ちをため込んだまま、長い夏の1日が遠のいていきました。
 
 「夏の日の思い出」・・・多くの思い出が多くの出会いと共にあり、時に波しぶきや入道雲といっしょに、私の脳裏に沸き立ち蘇ります。小さな頃はただ一生懸命遊んだ記憶が多いのですが、年齢が行くに連れて人生の甘酸っぱさが混じり込んできます。でも夏の記憶が鮮明に残りやすいのは私だけなのでしょうか。もしそうならば、横須賀という半島の町に生まれ、毎日潮風にさらされながら育ったからに違いありません(私、実を言うと湘南ボーイなんです)。最近は、その時代から現在に続く様々な出会いが、とても貴重に思えてきました。何故なら、その出会いの思い出の中に、自分の生きてきたすべてが在ると思えるからです。
 感謝!


     
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