阪神大震災に思う   

 1月17日早朝、大きな揺れに目を覚ましました。相当大きな地震だなと思いながら、家内にせかされるままにテレビのスイッチを入れました。阪神方面で地震という報道。続いて死者が数名。しかし、それで収まりませんでした。死者はうなぎ登りに増え、その被害の大きさに呆然となりました。すでに1ヶ月半が経過しましたが、いまだ多くの人たちがテント生活を強いられています。
 医院の被害も多かったようですが、たまたま医学部時代の同級生が神戸市灘区で開業していました。情報では、本人、家族、住居は無事(損傷あり、ガス、水道は停止)でしたが、その後戦場のような忙しさに見舞われたということです。薬や器具も十分でないままに医師として、住民の健康を優先して頑張った彼氏に頭の下がる思いがしました。何もできない同級生として、自宅の高級陶器類が全滅したということだったので、同級生有志の呼びかけがあり義援金を送りました。
 災害は忘れたころに
 災害は忘れたころにやってくる。神戸の悲劇は人ごとではありません。北陸でも何度か大きな地震に見舞われています。約200年前(寛政11年:1799年)、金沢を震源にM 6.0 の大地震があり金沢周辺を含めて6000戸の家が壊れ、15 人の死者が出ました。1948年(昭和 23 年)には有名な福井地震(M7.1)がありました。石川県でも2000戸の家が壊れ、41人が死亡しています。最近では、平成5年に起きた能登半島沖地震(M 6.6 )が記憶に新しいところです。
「災害症候群」
 耳慣れない言葉ですが、人間が災害にあった後、どのようにして回復して行くかを心の病気としてとらえたものです。

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